娯楽/酒と下戸/東京事変 
たとえば、そうそれは昔むかし、駄々をこねてまで欲しがった星をねだるような気持ちに似ている。
そうじゃなかったら、雲の上に乗ってみたいだとか、そういう類のもの。
彼らを見るとき心のなかは、いつもそんな果てしない焦燥感とか、途方に暮れたような心地になる。それでいて不思議と、海が凪ぐようにおだやかな。
額をつき合せてわらいあうふたりは、まるで世界一しあわせな、愛に満たされて育ったような、天使のこどものようだった。 でもきっとしあわせの在り処を識ってはいても、決してそこへは辿り着けないのだ。天使はこんなちっぽけな世界では生きられないだろうから。だけどしあわせはそのなかにこそあるから。
それなら最後までこんな世界のために生きたあのひとは、天使みたいなあのひとは、辿り着けたんだろうか。今もわらっているだろうか。
そうであると、信じることはとても容易い。そしてそれは唯一、アニスに赦された救いだった。
だけどアニスは自分で思うよりも余程こどもだったので、物分りのいい大人のように割り切ってそうする事はできなかった。 過ちを赦せない中途半端な純粋さを、未練がましく、まだ握りしめているので。
そんなアニスをいちばんにゆるしてくれた、赦される術を持たない彼。その隣でわらうあのひとにそっくりな彼。
これは恋ではない。あのひとが傍にいるときみたいな、心臓が高鳴るように焦がれる気持ちはもうここにはない。 だけど窓からあふれだす光に包まれたふたりを見ていると、胸がしめつけられるようでたまらない。 そこは誰にも踏み込めない聖域だった。世界が彼らを遠ざけるように、彼らもまた無意識に線引きをしている。まるで遊ぶみたいに無邪気なまま、アニスを隔てる。
せつない、とも違う、泣きたくなるほどのこの感情の名前を、アニスはきっと識っている。
その感覚は、懐かしいさみしさをアニスに連れて来る。どんなに泣いても、誰に縋っても、手に入らないものがあることを、ずうっと昔から教えられていた。
届かないなにかに手を伸ばすとき生まれる、この気持ちの名前はきっと、憧れだ。

胸も焦がされずに憧れる

2007/10/10