I want they happy. 
 いつものようにすこし遅めの起床だったにもかかわらず、今日はだれも起こしに来なかった。ミュウもいなかった。今はもういつもならたいていアニスかガイがたたき起こしに来る時間だ。
 朝食を食べるためにダイニングルームへ近づいていくと、絡みつくように甘い匂いが宿の中に漂っていた。
 エンゲーブの宿屋は無料で台所を貸し出している。もちろん食材は自分たちで調達しなければならないが、食材の宝庫であるこの街で、金さえあればそこに困ることはまずありえない。
 匂いを辿って台所へ入ろうとすると、ちょうど出てきたアニスが鍋を抱えていた。ミュウは足元でぴょんぴょん跳ね回っている。見れば鍋の中いっぱいに濃厚な甘い匂いをはらんだ茶色の液体がたゆたっている。
「なんだこれ?」
「知らないのぉ? チョコレートフォンデュだよっ」
「フォンデュですの!」
 チョコレートといえば固形のものしか知らないルークは、変わり果てたそのありさまに顔をしかめた。 こんなに液体にちかくどろどろにして、いったいどうやって食べるのだろう。まさか飲んだりするんだろうか。
 鍋つかみをはめたちいさな彼女にはすこし重荷だろうと思って運ぶのを代わろうとすると、「いーからいーから。今日はトクベツな日なんだから、男の子は黙ってテーブル座ってて!」とあっさり断られた。
 言われたとおりすごすごと椅子に座ると、イチゴやらキウイやらリンゴやらバナナやら、たくさんのいびつなかたちに切られたフルーツに満たされた大皿が数枚、テーブルを占拠していた。
「……だれがこんなに食うんだ?」
「そりゃ、オレらだろうな」
「うわ、お、お前いきなり話しかけるなよ!」
 独り言のつもりだったのに、肩口のあたりからにゅっと顔を出したガイが答えた。いつの間に後ろに立っていたのだろう。ルークの動揺を知ってか知らずかいつものように隣の席についたガイは、イチゴをひとつつまんで口に放り込んだ。
「あー! まだ食べちゃダメ!」
「ガイさんダメですの!」
 例の鍋を運んできたアニスとミュウがそれを見咎めて注意する。「ごめんごめん」と軽く謝ったガイに頬を膨らませたが、テーブルの中央に鍋を置くとすぐ台所に引き返していった。
「今日ってなんかあるのか? アニスが『特別な日』とか言ってたけど」
「え? ――って、そうか。お前は知らないんだよなあ」
 一瞬驚いた顔をしたガイは頭を抱えて唸った。そして眉尻を下げて「ごめんな」とルークの頭を撫でた。その謝罪が何を意味するのかを覚って、逆に申し訳なく思った。だってガイは知らなかったのだ、ルークがレプリカだということを。 それなのに彼はルークに必要最低限以上の教育をしてこなかったことを未だに悔いている。そんな風に思ってくれるガイの気持ちこそがうれしいんだと、何度言っても彼の懺悔は尽きない。
「知らないなら教えればいいでしょう」何と返せばいいのかわからずに困っていると、ガイと同じく気配をまったく殺して後ろに立っていたジェイドが口を挟んだ。「過去は過去です。犯してしまった過ちがあるのなら、それを悔いるのではなく償おうとするほうが余程相手のためでしょう」
 それがガイだけではなく自分にも伝えられた言葉だと気づいて、うっかり「ありがとう」と言いそうになった。けれどここでそう返すのは野暮ってやつなのだ、きっと。やさしさと解らせないようにやさしさをくれるから、ジェイドはやさしい。
「そんで、今日ってなんなんだ?」
 自分を挟んで座っている両側の二人に訊ねると、「本来は迫害されて殉死した聖バレンタインの命日なんですが、まあそんな物騒な話をするのも無粋ですからね。ここはバレンタインに相応しい人に説明してもらいましょうか」ジェイドがガイを一瞥しながら言った。
「またオレか! つーか旦那、はめようとしてるだろ……」
「おやおや、人聞きの悪い。実際沢山もらってたんでしょう? メイドたちやら町の女の子たちから?」
「だーからなんなんだよ! 説明してからケンカしろよな」
 一向に進まない話に焦れてルークが抗議する。傍から見ればじゃれあっているように見える二人の日常的いがみ合いも、当人たちにとっては牽制であるということに、原因であるルークはいつだって気づかない。
「今日はバレンタインデーって言ってな、女の子が自分の好きな相手に好意や感謝を伝える日なんだよ。昔は男から女の子へってのもあったらしいけど、こういうイベントは女の子のほうが好きだからな。お前もナタリアとかメイドの子とか奥方様からチョコレートもらったことあるだろ?」
 そう言われて思い返せば、確かにそんなこともあった気がする。ナタリアの前衛的すぎてとても口に入れる気になれない作品だけは今でも鮮明に覚えている。「バレンタイン」という響きに聞き覚えがないわけでもない。去年はショコラティエが来てデザートにショコラケーキが出ていたような気もする。それと、「ガイが女からいっぱいチョコレートもらってた」
「いや! ルーク、誤解だ!」
「やはりガイも隅に置けませんねえ」
「押しつけられたんだ!」
「ずるいよなーガイばっか。まあタラシだから仕方ないか」
「そうですね。タラシですから」
「オレはタラシじゃない! 女の子が好きなだけなんだ!」
「……最っ低ね」
 いつの間にかダイニングに来ていたティアの一言により、ガイはテーブルに撃沈した。どうやら自分がどんどん墓穴を掘っていたことに今さら気づいたらしい。こうして彼の想いは永遠、ルークに伝わらず仕舞いなのである。
「怨むぜ、旦那」
「自業自得でしょう」
 そうして呆れた溜め息を吐く彼も、ひねくれた性格のせいで一向に伝わらないのだが。
「お、それケーキか?」
 ティアの両手が支えている大皿には、台形のかたちにカッティングされた茶色い長方のシンプルなケーキ。真ん中に通る緑のラインは、ミントか何かの葉らしい。
「ええ。ショコラケーキやブラウニーじゃ在り来たりだと思って、ウィークエンドショコラを作ってみたの」
 液状チョコレートが入っている鍋の隣に置かれたそれは、上からコーティングしてあるのか光を鈍く反射している。屋敷では毎日パティシエが色々なデザートを作ってくれたが、これは目にしたことがない。パティシエが創るのは趣向を凝らした見た目が派手で絢爛なものばかりだったので。
「これティアが作ったのか?」
「悪い?」
「いや、うまそーだと思って」
 以前「ティアはケーキを作る柄じゃない」と言ったルークの言葉に傷ついたらしい彼女へのフォローを差し引いても、本当に美味しそうだった。だからそのままの感想を素直に口に出すと、俯いたティアはちいさな声で「……ありがとう」と呟いた。
 普段は冷徹そうに見せかけて、実は照れ性でかわいい性格であることに最近になって気がついた。勘違いのせいで傷つけた今までの罪滅ぼしに、感心したことは素直に言葉にしようと決めた。
 「悔いるよりも償い」を。それはこの旅で、ルークがいちばん学んだことなのかもしれない。
「この調子だと、ナタリアも何か作ってるのか?」
「ナタリアは今アニスとマシュマロを作ってるわ。そこのフルーツも切ってくれたし」
 ああ、だからいびつなのか。――という言葉はちゃんと飲み込んだ。言って良いことと悪いことの違いを見切れるようになったのも成長の証かもしれない。何といっても生死がかかっている。
「はいはーい、マシュマロかんせーい!」
「なんとか出来ましたわ」
 台所から出てきた二人の手には、ふわふわした白い楕円が山盛りになった皿があった。ちょっと焦げ目がついているのはご愛嬌。むしろ黒焦げじゃなかったことを喜びたいところだ。
「じゃんじゃん食べてね!」
「食べるですの!」
 アニスがフォークと小皿を配り、ティアとナタリアはケーキを切り分ける。ミュウはルークの膝上に座った。
 見よう見まねでマシュマロを刺して鍋中のチョコレートにひたす。口に入れれば、ふわふわのマシュマロととけるチョコレートの甘さが絡みあう。
「うまい!」
「まあ、よかったですわ」
 ストレートなルークの賞賛に、ナタリアはほっとしたように表情をゆるめる。
「でっしょ〜。アニスちゃんとナタリアの手にかかればこんなものちょろいちょろい。チョコも今日はちょっと奮発してミルクたっぷりのやつ使ったんだよ」
 満足げに笑うアニスはティアのケーキを頬張って、「うあ〜おいし〜!」と頬をおさえた。
 つられるようにケーキを口にする。ほんのりした甘さのしっとりしたスポンジに、ミントの風味とコーティングしてある部分がさくっとしていてアクセントになる。文句なしに美味しい。
「マジだ。ティアすげー」
「うまいな」
「マルクトのショコラティエにも負けませんね」
 それぞれが満足の声を上げながら味わっていると、宿主が「ちょっといいかー?」と言ってダイニングへやってきた。旅が始まってから何度も泊まっているため、既に常連となっている彼らに宿主の態度は気安い。
「お、うまそーなの食ってんなあ」
「食べて行かれますか?」
「やめとくわ。女房に怒られちまう」
 ティアの提案への冗談めかした答えに笑う。「そうそう、これ預かってんだわ」と差し出された物を見て、笑い声は止んだ。
 その手には二つの箱。一つは、いかにも女性が好みそうな、けれど洗練されたデザインの淡いピンク色。もう一つは、白と黒を基調としたシンプルだがクラシックな柄のもの。どちらも一目で高級品と判る。
 ピンク色の箱を手にとって付属のカードを読んだジェイドは、「ふむ……」カードをぐしゃっと握り潰して「陛下からです」と言った。
「陛下あ!? ってかジェイド、カードそんなにしていいのかよ」
「いいんですよ、陛下ですから」
 戸惑うルークにばさっと切り捨て、「みんなで分けて食べてほしいそうですよ」と笑うジェイドの顔は胡散臭い微笑みだった。
「……いいのか? それ絶対あいつ宛だろ?」
「いいんです。抜け駆けはさせません」
「あんたやっぱイイ性格してるな」
「本人に言わない時点でお互い様ですよ」
 高級チョコを頬張っている、本来の受け取り人であるはずのルークを眺めながら、ガイとジェイドが緘口協定を結んだことを差出人のピオニーは知らない。
「こっちは誰からかなあ〜?」
 白黒の箱を裏返し、そこに記してあるイニシャルを見つけたアニスは一瞬だけ躊躇った。差出人はわかった。しかしはたして、これはどちら宛だろう。
「どうしたの? アニス」
「誰からですの?」
「ナタリア、アッシュからだよ」
「まあ!」
 差出人の名前に顔を綻ばせたナタリアへ箱を手渡すアニスの顔は、某マルクト軍人の笑顔にそっくりだったというのは、ティアだけが知る事実である。
 ジェイドがピオニーの抜け駆けを阻止したのなら、アニスもアッシュの抜け駆けを阻まなければフェアにならない。誰もが大切に想うルークは、今のところはみんなのものなのだから。
 思わぬハプニングによる賑わいもようやく落ち着いて再びテーブルの上の甘いご馳走に取り掛かる。見る見るうちに減っていく山のかさがその味の素晴らしさを物語っていた。
「なんか」ぽつり、ルークが呟いた言葉に全員が手を止めて彼を見る。思わず注目されたことにはにかんだ。「こういうのって、いいよな」
 屋敷の豪華なデザートを独り占めするより、みんなでこうやって賑やかに同じものを分けあって食べる今の方が、ルークには断然美味しく感じられた。
 そんな彼に胸が痛くなるほどのあたたかさを覚えて、誰もが微笑んだ。それをきっと「しあわせ」と呼ぶのだと、声に出さなくたってみんなわかっていた。
 フォークにチョコレートまみれのマシュマロを刺しながら、「あ、そうだ言い忘れてた」アニスが思い出したように呟く。そうしてティアとナタリアと顔を見合わせる。「せーの、」

「Happy Valentine!」

I hope happines for Luke!
2009/02/14