新宿を根城にしている某情報屋の事務所へ招かれた竜ヶ峰帝人は、客人用のソファに腰掛けて出されたコーヒーにも手を付けず、何の絵柄も付いていないまっさらなピースを指先で弄んでいた。
 呼びつけておいて特に用事があるわけでもないらしく、挨拶もそこそこに折原臨也は帝人そっちのけでパソコンに向かっていた。かと思えば徐に細長い黒ヤスリを取り出してなぜか爪を研ぎ始めたので、帝人は机上のやりかけだったジグソーパズルを暇潰しに使っている。
 ローテーブルの上、部屋の主によって既に組み立てられていた外枠部も、散らばったままのピースも白、白、白。黒を基調とした内装の部屋にそれは奇妙に映えた。
 通称『ミルクパズル』と呼ばれる一面が真っ白のパズルは、絵柄での特定が出来ない分、ピースの形のみで判断するという高度な空間把握能力を要する。
 その上通常のパズルでも1000ピースともなれば難関と言われるものを、特に迷いも見せずに組み立てる様はそこはかとなく不気味だった。
「臨也さん」ぱち、とピース同士を嵌めながら帝人は、デスクで年頃の女子宜しく爪を磨いている臨也に問い掛ける。「僕たちみたいな関係を何て呼ぶかわかります?」
 以前、良い歳したおっさんが爪なんて磨いてどうするのだと多少オブラートに包んで訊ねた帝人に、客商売は印象が命なんだよ、とチェシャ猫の笑みで言った臨也は「そうだねぇ。『相思相愛』、かな」と軽々しく宣った。
「それは16話のサブタイトルです」
「ん?」
「いえ、気にしないで下さい。……相思相愛なんてセルティさんと新羅さんくらいにしか当て嵌まりません」
 ぱち、ぱち、ぱちん。ピースがどんどん嵌まり空間が白く埋まっていく。その様子を臨也は爪に息を吹き掛けながら一瞥した。
 竜ヶ峰帝人という人物は地味で非力な印象を与えるが、洞察力と推察力は人一倍優れている。まったく平凡な雰囲気を纏いながら非日常に憧れる余りに予想を遥かに裏切る言動をすることもある。
 臨也はそんな彼を優秀な駒のひとつとして育てていたが、彼の豹変とも言うべき変化を察して随分と前から手元に置いている。かつて臨也が育て上げた『キング』は予想の範疇を越え、制御不能な存在になってしまったので。
「そうかい? 俺は言い得て妙だと思うけどねぇ。同じ思想、同じ愛を持って行動を共にする。これは相思相愛、いや、いっそ運命共同体と言えるんじゃないかな」
「訂正して下さい。第一に僕は貴方と一緒の思想なんて持っていませんし、貴方みたいに気持ち悪い人間愛なんて感じたこともありません。第二に相思相愛とは男女が互いに愛し合う事を言うので使い方が間違っています。最後に、貴方と運命共同体なんて絶対に嫌です。死ぬほど嫌です」
「最後は訂正じゃなくて拒絶だね。しかも大事な事なので二回の法則? そんなに嫌?」
「だって臨也さんって、最終的には誰かに刺されるか刑務所に入るか自販機またはガードレールに潰されるか東京湾に沈められるか……どれにしたって真面な死に方しませんよね」
「そんなことないですよう! 太郎さんの意地悪ぅ〜」
「真顔で甘楽口調とか殺したいほどウザいので死んで下さい」
「……最近君、『彼』に似てきたよねぇ」
 帝人から逃げ出した幼馴染みの話題を出すと、ミルクパズルを解いていた帝人の手が止まった。ゆっくりと振り向き臨也を見据える目には剣呑な光が差している。
「言っておきますけど、僕は貴方が正臣にした事を赦した訳じゃありません」
 こういう時の帝人は、その名に相応しく支配者の目をしてみせる。自分の言葉を相手が受け入れると確信しているのだ。流されやすく絆されやすい普段の優柔不断がまるで嘘のように。けれども帝人の中にはこの危うい両極端な性質が共在している。
 人間観察が趣味である臨也は、人間とは幾つもの仮面を持ち合わせているのが普通だと思っている。乖離性同一性障害でもないのに、しかしながら無意識下でこんなに極端な性格を持つ人間を見たことがなかった。そんな興味も手元に置いた理由のひとつであった。
「それは解ってるつもりだよ。赦されたいわけでもないしね。それに誤解してるようだから言っておくけど、紀田君の時も君の時も俺は背中を押しただけだ。道を選んで踏み出したのは結局自分だって事を忘れないで欲しいなあ」
 肩を竦めた自分に眉をひそめる帝人へ臨也は続け様に言い募った。
「それにしても君も紀田君も変だよねえ。俺に騙された、俺のせいで傷ついたと思い込んでいるにも拘わらずどうして俺から離れないんだろう。それがずっと疑問でねぇ、この間考えてみたんだよ。そして結論が出た!」
 聞きたいかい、と帝人に問うた臨也は笑っている。意図的に神経を逆撫でする嘲笑。
 帝人は臨也に応えない。どうせ首をどちらに振ってもその結論とやらを喋りたくてたまらないのだろうと解りきっているので。
「無言は肯定。いいだろう教えるよ。それはね、君達と俺が似ているからだよ」
「起きてても寝言が言えるってすごいですね感心します臨也さん」
「素晴らしい棒読みで褒めてくれてありがとう帝人君」
 ぐしゃり。帝人の手の中で変形した白いピースが、テーブルに落下するのを眺めて臨也は笑みを深めた。
「本当は君も自覚があるんじゃない?」
「何が――」
「君と俺は似てるよ。君はダラーズの創始者で、俺は情報屋。形態は違っても支配欲の表れだ。人間を支配したい、掌握したい、意の侭に動かしたい、君だってそう思ってる筈だ。自覚の有無に拘わらずね。一応まだ勝ち組である帝人君が俺に惹かれるのも無理はないよ。紀田君は一度支配者になって痛い目見てるからね、そういう意味では君より臆病になってるんだ。つまりは同族意識と自己愛!」べらべらと捲し立てながら、臨也は帝人の後ろに回り込んでその華奢な両肩に手を置いた。「君達が俺に依存する理由はその二つだよ」
 帝人は一瞬だけ身体を強張らせ、それからひとつ、短い溜め息を吐いた。
「お気に召したかい?」
「最もらしいけどとんでもなく自惚れた解説をどうもありがとうございます」
「結構自信あるんだけどねぇ」
 軽口を交わしつつ、帝人と臨也はパズルのピースをひとつずつ埋めていく。ソファを挟んでのし掛かられるような体勢に帝人が抗議の声を上げると、臨也は仕方なさそうに隣へ腰掛けた。
 質量の無い沈黙が訪れる。毛布より軽い静寂の中を縫うように、ぱちん、ぱちん、と音が響いた。
「仮に」真ん中のひとつを残し、最後のピースを嵌めた帝人が不意に呟く。「仮に臨也さんと僕が似ているとして」
「仮に、ねぇ」
「似ているって事は持ってるピースも同じですよね」
「パズルに例えるとってこと?」
「そうです」言いながら、帝人はテーブル上の、自ら握り潰したピースをつついた。「だから、同じピースが欠けてる僕に貴方の欠陥は埋められませんよ」
 そうしてひしゃげたピースを臨也の右手に落とし、帝人は「お邪魔しました」と部屋を出て行った。
 歪な形のピースを握り締め、一生完成することのなくなったパズルの真ん中にぽっかり空いた空洞を見つめた折原臨也は、この日初めて、決して独りでは生きてゆけない人間の脆弱さをおそろしいと思った。


斯くもうつくしき傷の舐め合い

2010/