平穏なんてくそくらえ! とでも言うかのように、来神学園は今日も通常運行にバイオレンスである。

 教室に居れば「いいいいざああああやああああアアア」というドップラー効果が発動した魔神の咆哮とロッカーが廊下を駆け抜け、校庭に出れば他校の制服を着た集団が宙を舞う某アクションゲームのごとき無双風景が繰り広げられられる。
 集会中も授業中も関係ない。折原臨也と平和島静雄。この二人が同じ空間に居合わせたその瞬間にゴングは鳴るのだ、否応なしに。
 しかし、生徒はもちろん教師陣、近隣高校の不良集団も止められない問題児二人を仲裁できる人物が奇跡的に存在する。
「いい加減にしろ」
 ぱこん! と軽い音を響かせて門田京平が丸めたノートで叩いたのは、もう何度修繕したか分からない屋上の鉄柵を静雄が振り下ろそうとしていた臨也の頭だった。
「ドタチン! 何で俺を殴るの!? どう見ても被害者は俺じゃん」
「……そういう冗談は人が嫌がってるのを解ってて繰り返すその性質の悪ィ性格直してから言え」
 初対面でいきなりつけられた不本意なあだ名を未だに改めようとしない臨也に向かって門田は溜息をついた。
 折原臨也という人間は門田が今まで出会ってきた人物の中でも相当なロクデナシである。趣味は人間観察と称した心理誘導。座右の銘は『人ラブ!』。極度の快楽主義者でありながら臆病者。それでいて何となく憎めないのがいちばん最悪な所だと門田は思っている。
 フルスイングで宇宙の彼方まで吹き飛ばそうとしていた相手を先に窘められた事で毒気を抜かれたのか、静雄は悪態をつきながら鉄柵を無理矢理に元の位置へ嵌め込み、変人であり友人である岸谷新羅の隣に座った。学園を出て徒歩1分の距離にあるマックで買ってきたバニラシェーキを瞑目してキュイキュイ飲む、という精神統一法を実践する。
 普段ならば弟の「カルシウムが足りてないからだよ」という言葉を鵜呑みにして牛乳を飲んでいるのだが、売店の牛乳が売り切れていたので代わりにバニラシェーキで我慢しているらしい。ちなみにその売店の牛乳も誰かさんの悪趣味な悪戯で、これまた悪趣味にも彼の信者を名乗る女子数十名によって買い占められた事は目撃(あるいは黙認とも言う)していた新羅と張本人にしか知り得ない事実だ。
 静雄は怒りさえしなければ極めて温厚で誠実な部類の人間と言ってもいい。しかし沸点がものすごく低い彼を怒らせない事自体が難しく、そのうえ漫画や映画に出てくるような超人的怪力を持っているために近づく人間はすくない。近づく人間は勇者か変人か阿呆と呼ばれる。ついでに言えば門田が勇者、変人が新羅、阿呆が臨也だ。
「んで、今日はどんな下らねえ理由で喧嘩してんだ?」
「シズちゃんがさあ、」
「お前が悪い」
 語りだそうとしたのを遮った門田に臨也が「ドタチン最近冷たくない? ねえ冷たくない?」と抗議すると、「臨也が悪いんだから仕方ないよ」と新羅が笑顔で言い放った。静雄はまだ修行僧のような真剣さでバニラシェーキを飲み続けている。
「静雄が昼食を摂ろうとしたら『またマックなんて食べてるのシズちゃん。だからいつまでも馬鹿のままなんだよ。すこしは食事バランスに気をつけないとますます脳が退化するよ』って言ったか」「いいいいいざあああああやああああ」
 声真似をしつつ新羅がリピートしたセリフに静めかけていた怒りが沸き上がってきたらしい静雄が、背後に世界中のあまねく負感情を背負いこんで再び立ち上がった。慌てた門田は静雄の両肩に手を置いて、「落ち着け静雄。お前の気持ちはよく解るがこれ以上公共物を私物化するのはやめろ」と諭した。
「どけ、門田。俺はあのノミ蟲を潰さねえ事には死んでも死に切れねえ」
「あはは。静雄がどっかのイタリアンマフィアの中学生みたいな事言ってるー」
「ドタチンどきなよ。どうせシズちゃんが俺を倒せるわけがないんだからさ」
「殺す! 確実に殺す!! めらっと殺す!!!」
 携帯を弄りながら挑発を続ける臨也に血管を浮き上がらせた静雄を見て、やばい、と覚った門田は「静雄!」と叫び、続けて言った。「いま我慢できたら、放課後好きなモン奢ってやる」
 沈黙はたっぷり三十秒。瞳孔を開いたまま口を開いたり閉じたり酸欠の金魚になった静雄はぐっと息を詰め、「……………こだわりたまごのとろけるプリン……」と呟いた。
 ぶは! と吹きだした臨也の顔面に静雄の拳がめり込んだのは言うまでもなく、「公共物は使ってねえ」と息巻いた静雄の迫力に新羅と門田は無表情に頷くしかなかった。もんくはゆるしませんの、という某カロイドの声が聴こえた気がする。
「よし、寝る」
 ストレスを解消してすっきりしたのか、静雄はそう宣言すると座り込み、一緒に引き摺りこんだ門田の肩に頭を置いて目を閉じた。途端、寝息が聞こえ始める。
「え……なに、シズちゃん寝たの? 早くない? おやすみ三秒とかどこの幼稚園児? どんだけ本能に忠実なんだよ」
「静雄だって疲れてるんだよ。毎日毎日誰かさんのせいで多勢に無勢の喧嘩吹っ掛けられるんだから」
 顔面を覆いながら驚愕の声を上げる臨也へ新羅が厭味を投げつけると、臨也は肩を竦めて「俺はシズちゃんの将来性を育ててるんだってば」と胡散臭い笑みを浮かべた。
「シズちゃんが大人しいとつまんなーい」
「おい、離れろ! 気色悪い!」
 駄々っ子のように寝そべって門田の腰に抱きついた臨也は抗議の声を華麗にスルーし、「俺も寝る!」と携帯を持つ手を投げ出すかたちで門田の胡坐の上に頭を乗せた。
「人の話を聞け」
「臨也に言っても無駄じゃない。都合の悪い事は聴こえないようにできてるんだから」
 狸寝入りを決め込む臨也は何も言わない。まるで拍子抜けするほどの平穏である。
「身動きが取れねえ……」
 門田が呟く横で「ご愁傷様!」と笑った新羅がいそいそと彼女手製の愛妻弁当を広げ始める。新羅の彼女がセルティという名である事、外国人である事、新羅が四歳の頃から彼女に熱を上げている事以外を知らない門田は、それが後に首なしライダーと呼ばれる人外の存在だと知る由もなく、ちょっとこっそり(リア充爆発しろ)なんて思うこともしばしばあったりする。
「平和だな」
 左肩と膝上の体温、うららかな春の陽気につられて船を漕ぎ始める門田に新羅は「そう長く続かないけどね」と苦笑する。

 新羅が愛妻弁当を食べ終える頃には三人分の寝息が聞こえ、彼はおもむろに携帯を取り出した。不意に訪れた、貴重かつ昼休み終了のチャイムと共に終わるだろう平穏を、その春のかたちごと写真に収めるために。

ロングピース・グッドバイ

2010/
タイトル / シュロ(http://whss.biz/~tosca500i/)