零(して)零(になる)
ルークとアニスの強い要望で、フローリアンに逢うためにダアトに訪れた。
その間、二人以外の仲間は一緒になって遊んだり、休憩をとったりと、それぞれに行動している。
ジェイドはどちらかといえば後者の方で、図書室にある書籍を読みながら時間を潰していた。
適当に選んだはずの書籍や資料を机に積み上げ、それが音素学系の専門書ばかりであることに気づき、苦笑いを零す。
随分と分り易い人間になったものだと、自嘲するかのように。
暫くして図書室に現れた三人は、賑やかな声をたてながら童話のスペースへ行き、司書に窘められて声を落とした。
それを眺めていたジェイドに気づいたアニスが、本を選ぶのに夢中になっている二人を残して寄って来る。
「放っておいていいんですか?」
「いくらなんでも、大丈夫ですよ。見える範囲ですし」
ちらりと一瞥してから、アニスは向かいの椅子に腰掛けた。暫くここにいるつもりらしい。
ジェイドが机に積み重ねた本を手に取って数ページ捲ると、顔を顰めて本を閉じた。そして机に突っ伏して、そのままの体勢で顔だけを上げる。
「人にやさしくするのって、疲れませんか」
そう言ってため息をついたアニスの表情は、子どもとは思えない、疲れきった大人のそれだった。
それでもこの子どもが歳とは不相応に大人びていることも知っていて、つきあいもそれなりに長いジェイドは敢えてそれには触れなかった。
「そうですか?」
「……大佐に訊いたあたしって、バカ」
「アニース、どういう意味ですか?」
含みのある満面の笑みを浮かべると、アニスは少しだけ顔を引きつらせて椅子ごと身体を引いた。こういう時の反応だけは子どもらしいと思う。
最も、『子どもらしい』という点では、七年間しか生きていない『彼』の右に出る者はいないのだが。
「だって大佐はヤサシイけど、やさしくないですもん」
「解りにくい事を言いますね」
「大佐が一番わかってるでしょ」
呆れたようにそう言うと、アニスはもう一度ため息を吐いた。その視線の先には、フローリアンと額をつきあわせて本を読む彼の姿があった。
その光景にじわりと、何かあたたかいものが拡がるのを感じて、居心地の悪さを覚える。 今までそんなものとは無縁であったがために、自分らしくないとつい否定してしまいたくなる。
その感情が何なのか、この先もずっと理解しようと思うことはないだろう。そうすることに、多分自分は怯えているのだ。柄にもなく。
「何かあったんですか」
答えを期待してもいないのに、ただ問いかける。先ほど言われた、「ヤサシイけどやさしくない」とは恐らくこういうことだ。
「何もないですけど……イオン様とか、ルークってやさしいじゃないですか」
その『やさしい』が、自分に向けられた意味とは違う方向の、正しい『やさしさ』だということは容易に理解できた。納得もできる。
「それでですね、人にやさしくするのって妙に疲れるじゃないですか」
そう言った声にまで疲れが滲んでいて、一体何がそこまで彼女を疲れさせているのかと、関係のないことが頭をよぎった。
「まあ、聖人じゃない限りは、疲れるでしょうね」
「それってなんか、自分のなかの何かを削ってるみたいな気がしません?」
意外な解釈に驚き、思わず目を瞠る。
再び机に伏したアニスは、独りごちるように言葉を紡ぎ続けた。
「あからさまに言っちゃえば、自己犠牲っていうか。……本当にやさしい人って、手のひらに飴を落としてくみたいに、 きっとみんなにその『自分のなかの何か』を零しちゃうんですよ。無意識でも意識的でも」
「――解りにくい事を、言いますね」
比喩的で、非現実的な言い回し。それでも言いたいことは的確に伝わってくる。彼女らしい言葉だ。
「たくさん零しちゃったら、いつかは零になっちゃいますね」
その声はしっかりとしていて、未だ机に伏したままの表情は窺えない。
それでも確かに、――泣いているような気がした。



たくさん零したから、
死んでしまうんです。



2007/05/17
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