「やーっとアンタと戦える日が来たよ、サル山の大将さん」

この時を待っていた。
ストリートテニス場で出逢ったあの日から、その瞳が自分だけを映すことを。




「そこのサル山の大将、シングルスやろーよ」
顔を合わせて開口一番がそのセリフ。今まで初対面の誰にもそんな不遜な態度をされたことはない。いや、世界中を探してもきっと俺くらいだろう。
「焦んなよ」
「逃げるの?」
年上だろうが格上だろうが、構わずに挑発の目を向けるその姿に意識が奪われる。
今はまだ早い。ここで潰してしまうには勿体ない存在かもしれない。
そんな気持ちが湧いて、まともに相手をせずにはぐらかした。
「お前に喧嘩売るなんて、オモロイ奴っちゃなあ青学ルーキー」
「ただの生意気なガキだな」
「でも結構可愛かったかも」
「お、気ぃ合うやんか岳人。確かに別嬪さんやったなぁ」
「あーん? 馬鹿なこと言ってんじゃねーよ」
しみじみと語り合う二人が煩わしく思えて、自然と声にも不機嫌さが滲み出る。男相手に何を言ってるんだか。
「なんや、不機嫌やないか。ま、ライバル減るんなら何でもええけどな」
冗談とも本気とも取れるその呟きに面食らっていると、代わりに岳人が問い詰めた。

「は!? 侑士マジで言ってんの!?」
「マジやで。今回は誰にも譲れへんわ」
まさか忍足がそんな事を言うとは思いもしなかった。自分より許容範囲が広いものの、決して誰にも執着しなかった忍足が、まさか敵校の越前に惚れるとは――。
「クソクソ侑士! 俺は変態なんかとダブルス組みたくないぞ!」
「何言うてんのや、愛に性別なんか関係あらへんで!」

その時はそんな言い合いを続けている二人を置いて、樺地とストリートテニス場を後にした。
だがその後も何かと越前を気に掛けて、青学まで行って(越前は気付いてないが)本気で口説きに通っているらしい忍足と、感化されたのか熱を上げる岳人に何故か焦燥感を感じた。
そして関東大会初戦で手塚とのタイブレークの末勝利し、異例とも言われる控え選手対決でリョーマが日吉と戦って勝利する姿を見て身震いをした。

「まさか今更惚れたとか言わへんよなぁ? 跡部」
返事はしなかった。肯定も否定もできない。ただ目が奪われて、離せなくなったのは事実。
「忍足先輩」
「なんや鳳! まさかお前も惚れたんか!」
「そのまさか、です。だってカッコイイじゃないですか! あと多分、若と向日先輩も」
「日吉もかいな! 俺の越前に負けた分際で生意気な! 岳人も岳人やで、お前なに俺の可愛え越前に見蕩れとんのや!」
それも仕方ない、と思う自分と、忍足と同じ事を考えている自分に混乱しながらも、もうこれで引退してしまうのだという寂寞と未練じみた想いに胸を衝かれる。
その中のひとつには、越前と公式的な試合が出来ない事への残念さも確かにあった。


だが、時は来た。
試合開始の合図があっても、互いに見詰め合ったまま、今までを思い出すようにボールを握り締めていた。
越前の無我の境地を引きずり出して、その越前が本来の跡部のテニスを引き出す。
互いに一歩も譲れない。部を全国一へ導く為に、ひとりのプレーヤーとしての誇りをかけている。
そして跡部にとって、越前の瞳に映り続ける為の選択でもあった。
『ねえ……全国にはアンタみたいな化物ゴロゴロいるんでしょ?』
ふと、越前が真田に向かって言い放った言葉が蘇った。
強い者だけを追い求めるその瞳はきっと、敗者になど見向きもしないだろう。
越前に追いかけられる為には、この試合に勝たなければならないのだ。
終わらないタイブレークに意識が遠のき始め、互いにコートに倒れた。先に立ち上がったほうが勝利を掴む。声援のなか、消えそうな意識をかき集め、ネットの向こうに未だ倒れている越前を見下ろした。




「あ、サル山の大将」
「……跡部だ」
「跡部サン、何の用?」
「俺が意識無い間に好き勝手やってくれたみてーじゃねぇか、あーん?」
跡部が立ち上がった後、越前もギリギリのところで立ち上がり、サーブを決めて勝利を手にした。しかも意識を失っても尚コートに君臨していた跡部の髪を宣言通り刈った。約束とはいえ屈辱だ。
「いーじゃん。そっちの方がスポーツマンらしくて男前だよ」
悪戯っぽく笑った越前に溜め息をつき、そのまま通り過ぎようして呼び止められる。
「アンタ、テニスもうやめるの?」
「……さあな」
「迷ってるなら続けなよ」
鋭い光を携えて、挑発するように笑顔が、初めて会ったときのそれと重なる。
「いつか部長とまとめて完膚なきまでに倒してあげるから」
それまでに腕鈍ってたら承知しないからね!
遠くで名前を呼ばれてそちらに向かう途中の捨て台詞に、唖然とした後に笑い返す。
「良い度胸してんじゃねーか」
どうやら負けはしたが、腕は認められているらしい。その時に負けることが無い様、練習を続けなくては。
それにしても手塚、ここでも邪魔するか。


その後氷帝学園男子テニス部には、引退してからも尚コートに君臨する元部長・跡部景吾の姿があった。
あの後越前が心の中で、「あと真田さんと不二先輩と、クソ親父も倒してやる」と誓い、意外と認められている人物が多い事を知らない彼は幸せなのかもしれない。




その目に映して
2007/02/17