今までも、そしてこれからも、誰にも出来ない事をやってしまうのはキミだけだということに、気付いていないんだろうけど。


関東大会決勝戦が終了し、閉会式までの僅かな休憩の間、コートから少し離れた場所にある水道で顔を洗っていた。
落ちていくその水音に、いつかの雨の日に交わした手塚との会話を思い返す。
『お前の本当は何処にある!?』
『……どうやらボクは――勝敗に執着出来ないみたいなんだ……』
それは紛れも無い真実。勝ちに拘る姿が格好悪いとか、そういう気持ちではなく、『相手の力を限界まで引き出してスリルを楽しみたい……だけなのかなボクは』
直前まで越前と試合をしていた時のような、身体中を駆けるあのスリルだけを求めてしまうのだ。
だが都大会決勝氷帝戦で、自分と同じ人種だと思っていた手塚のあの執着と、先程の眼が見えない中で神経が極限状態まで研ぎ澄まされた試合に、『本気』のプレーを見出した。
それでも――。
「『あんな不二先輩見た事ない』」
水音の狭間に紛れ込んだ微かな声に意識を引き戻して振り返ると、そこには青学の優勝を決めた張本人、越前の姿があった。
蛇口を捻って水を止めると同時に彼が歩み寄る。
「でも、先輩の本気はあんなもんじゃないでしょ」
それは普段誰にでもする挑発的なものでもなく、質問でもない、確認の言葉だった。
「ボクが本気になる前に彼に限界がきてしまったからね……」
苦笑しながら答えると、見上げてくる強い眼差しに目が離せなかった。いや、離したくなかった。
「だけど、俺の時より真剣だった」
拗ねたような口調に、その鋭い目線の意味を理解し、判らない程度に微笑んだ。
この可愛い後輩兼恋人は、不二が自分よりも切原に実力の片鱗を表した事に機嫌を損ねているらしい。
それによってリョーマとは逆に不二が機嫌を好くしてしまう事に気付かないあたり、鈍いというか天然というか。まあ、そこが不二が惚れ込んだ由縁なのだが。
そしてその惚れ込んだ相手に傷をつけられたら、誰だって逆上するのは当たり前だ。

「だって大切な恋人を傷つけられたら、ボクじゃなくても怒るよ」
その事を素直に言えば、照れて頬を染めるどころか、どうして解ったのかと解り易い表情で訊ねてくる。
「そのヒザ、切原にやられたんでしょ?」
「……っ転んだんっスよ」
「誤魔化しても無駄だよ?」
にっこりと、寧ろ胡散臭い程の微笑みに、リョーマが引き攣った顔で後ずさる。こうなった不二は誰も止められないと学習しているが、それだけではどうにもならないのである。
離れようとするその腕を掴んで引き寄せ、華奢な身体を抱き竦める。最初は抵抗していたものの、諦めたようにすっぽりと収まった身体を更に強く抱きしめる。
「よかった……リョーマ君が無事で」
本当に、心の底からそう思った。もし彼が二度とプレーできない状態にまでされていたら、試合ではなく直接的に切原を甚振っていただろう。それ程に、自分にとってリョーマは大切な存在なのだ。
そんな自分の醜い澱んだ感情に苦いものを覚えているさなか、不意に聞こえたくぐもった言葉に訊ね返す。
「だから! アンタも無事で良かったっていってんの!」
勢い良くそう叫ぶと、照れ隠しのように顔を不二の身体に押し付ける。愛しさを抑えきれず旋毛にキスをおとすと、背に回された腕が咎めるように締め付けた。
「でも逆に良かったよ。リョーマ君の声がいつもよりはっきり聴こえたし」
強ち嘘でもない冗談を囁くと、バカじゃないの、と心底呆れたような声が返って来た。

会場のアナウンスが閉会式の開会を告げ、不二が名残惜しげに離した腕を、リョーマは未練なくすり抜ける。まるで猫のようなその身のこなしに、純粋な微笑みを浮かべた。
そして先を歩いていたリョーマは不意に立ち止まると、プレイヤーとしての眼で不二を見据えた。

「絶対俺がアンタの『本気』を引き出してやる」

宣戦布告にも似た挑発に、真剣な眼差しで答えた。それを受け取ったリョーマは、一度も振り返らずに駆けて行く。


キミは気付いていないんだろうけど。
こんなに心を捧ぐのも独占したいと思うのも、今まででもこれからも、ただひとり、キミだけだということに。





キミだけの特別
2007/02/17