耳が痛いくらいの静寂、だ。 夏休みの初め、憧れの先輩にバイトとして連れられていった片田舎の旧家は、それはもう騒がしかった。 室町時代からつづく由緒正しき陣内家の十六代目当主、栄の誕生日を祝いにわざわざ全国津々浦々からやってくる親戚は数が多いばかりか、アクが強く生命力にあふれるひとばかりで、日々に流されそうに頼りなく生きている健二は圧倒されるばかりだった。 (だれかの誕生日にわざわざこんなに人が集まるものなんだ) 自分にまったく関心を寄せなかったけれど一応は祖父であった男の葬式を思い返してみても、これだけの親族は集まらなかった気がする。もっとも、栄という人物の人柄や人徳によるものが大きいだろうが。 それでも曾孫の代までが集結する状況に強い絆のようなものが感じとれて、健二は居心地のわるい想いをした。 (こんなの、は、しらない) 屈託のない笑い声、大きなテーブルに所狭しと並ぶご馳走、広大な敷地なのに常にある人の気配。『家族』のあるべきかたちが、陣内にはあった。 栄の死を乗り越え、ラブマシーンの一件が片づいてから初めての夕食時、「立派に家族の一員だ」と誰からともなく告げられた言葉に応えた顔は、ちゃんと笑顔のかたちをしていたのだろうか。大きな針で心臓を一突きされたような痛みを堪えるのに精一杯だった記憶しか残っていなくて、自信がない。そんな痛みもうれしさと幸福感ですぐに麻痺してくれたのに。 陣内家の人々と連絡先を交換して東京に帰るまで、麻酔の効果はつづいた。自然と頬がゆるむのを我慢出来ずに新幹線のなか、折り畳み式のテーブルを広げてつっぷしたくらいに。 しかし、そんなまやかしは自宅のドアを開けた瞬間に霧散した。放電のように足の裏からすうっと、あたたかいものが地面に吸い込まれていくのがわかった。 耳が痛いくらいの静寂、だった。 くらい室内の闇は待ち構えていたかのように入ってきた健二へ襲いかかった。夏だというのにひんやりとした空気は心地よさよりも不快感を引き連れて絡みつく。かつてメモと一緒にラップのかかった惣菜が置いてあったテーブルの上には、数年前からなにも載ったことはない。それどころか、部屋全体に気配がない。だれかの暮らしている空気が存在していない。 数日前までちっとも意識していなかった『不在』の重さが一気にのし掛かってきて、健二は見えない圧力に潰される恐怖に立ち竦んだ。 (くるしい) ふ、と浮かんだ言葉に引きずられるようにして健二の心のなかから言葉が発作みたくあふれだす。くるしい、くるしいくるしいくるしい。 健二は咄嗟に旅行用バッグのなかを乱暴に探って何かを探り当てた。薄っぺらい携帯を取り出して電話帳を呼び出す。あまり多くはない知り合いの名前の羅列に、スクロールの手を止めては進める。バイト仲間であり腐れ縁の親友、憧れからすこし近づいた先輩、OZで不動の王を操る中学生……通話ボタンを押しそうになるたびはっとして思いとどまる。深夜もちかい時刻、『他人』に電話をかけられれば不愉快極まりない。 窒息しそうになりながら、健二は再び無意識に旅行用バッグを探り、慣れ親しんだ感触を引き寄せた。計算用紙とペン。視界に入れた瞬間、酸素がひゅっと肺に滑り込み、呼吸が楽になる。 (ああ、) その瞬間、健二は携帯を手放した手にペンを握り、詫助からもらった問題に取りかかっていた。 真夜中、蛍光灯の下、つめたい床の上。ひたすら数字と向き合う小磯健二は、世界中のだれよりも純粋で、だれよりもこどくだった。 |