教育/駅前/東京事変
 ふたりきりで歩くのは、もしかすれば初めてなのかもしれなかった。綱吉の周りにはいつだってたくさんの人が集まっていて、 出逢った頃からそれはずっと変わらなくて、だからなんだかいつも以上にときめいてしまったりするのだ。
 土手を歩きながら取り留めのない会話ばかりを交わしたあと、変にテンションが上がってしまったハルと綱吉との間に滑り込むようにして、しずかな言葉が横たわる。
「俺、来月に行くよ」
 予感はずっと、確信にちかい感覚でハルのなかにあった。今まで漂っていただけのさみしさが、波のように押し寄せて胸がいっぱいになる。向かい風に息がつまる。くるしいくるしい、くるしい。
「ついてっちゃ、だめですか」
「だめだ」
 こんな時だけしっかりとした口調で止める、それは残酷なやさしさ。こっちの意思も意見も見ないふりをして、巻き込みたくないと思う綱吉のずるいやさしさ。
 たとえどんなにハルが願っても、一緒に連れて行ってはくれないのだ。一緒に居させてはくれないのだ。
 勝手な感傷と自己満足で置き去りにしていく意地悪さをうらみながら、それでもハルはそのやさしさを嫌いにはなれない。それどころか一層、心臓は正直に音を鳴らす。
「ツナさん、すきです」
「俺も、ハルがすきだよ」
 困り顔ではにかみながら、ハルとはちがう意味の言葉を返す。 このひとは、沢田綱吉という人間は、こういう人物だった。いつだって臆病に平等な愛をふりまいていく。 それは綱吉のいちばん愛おしい部分であったし、いつだってハルや周りの存在をあたたかくしてくれた。
 だけど綱吉に恋をしているハルは、だからこそ、そんなものではとても満たされなかった。
「つなよしさん」
 初めて呼んだ名前は、意外なほどしっくりと耳に馴染んだ。心がじんわりと熱を持つ。そのたびにハルは、何度でも恋に落ちる自分を自覚した。そう、何度だって。
「綱吉さん、私、三浦ハルは!」
 右腕をめいいっぱい挙げて、張り上げた声が少しだけかすれた。制服スカートの裾がひらひら、土手を吹き抜ける風に翻る。あと少しすればこの感覚も、思い出と一緒に仕舞っていつか懐かしいものになる。
 その前に、これだけは言っておかなければいけない。この衝動だけは、いつか振り返る青春のひとかけらなんかにはしておけない。
「ハルは、沢田綱吉に一生恋することを誓います!」
「ええ、何だよそれ」
 照れたような、ちょっとだけ残念そうな声。
(ツナさんは知らないんですね。恋は、愛を越える時だってあるんですよ)
「私はイタリア、行けないですけど」
 喉が、ひくり、震えた。頼りないちっぽけな涙腺だけが、零れ落ちそうになるものを必死で引き留めている。
「臆病でずるくて、ちょっと意地悪で、誰よりやさしい『沢田綱吉』を、マフィアのボスじゃないツナさんを、ずっと想ってます」
 笑おうとして失敗した歪んだ顔を、隠す前にぎゅうと、強く抱きしめる体温。思っていたよりもずっと広い肩からは、せつないくらい春のにおいがした。なんて、ずるい、やさしい、いとしいひと。
「卒業しても結婚してもおばあちゃんになっても。だから、大丈夫です、どんなに迷ったって、どんなに濁ったって」
「ハル、」
「ツナさんの居場所は、ここにあります。だからいつだって帰って来れます」
「ありがとうハル、ありがとう」
 ふたつの声は情けなく掠れて震えている。支えあうようにして、まるで魂を分かった兄妹みたいに、恋人同士のようにしっかりと抱きしめあいながら、ふたりはひとつの別れを迎えようとしている。
 すべて赦せてしまう愛のような、そんなうつくしいものではないけれど。恋は盲目。ただひとりしか見えない幸福。だからこそ恋は、愛をも凌ぐ。
「ツナさん、すきです、だいすきです」
 ありったけの恋を、ひとことにこめて。 自分は一生をかけて、ただひとりだけに恋をする。それはきっと、世界一しあわせなことなのだ。 どんなに壮大な愛の物語も笑い飛ばしてしまえるほど、それは素晴らしいことなのだ。 だからかなしいことなんてない。
 永遠の恋に落ちたことのしあわせを噛みしめるように、ひと月の後に去ってしまう背中を、想いのままつよく抱きしめ返した。はるにはさようならがよく似合う。

あなたが鼓動を揺らすから


2009/01/26
きょこちゃんもすきですが、ハルちゃんもかわいくてすきです