二年次のクラス替えで、俺は沢田の右隣の席になった。ちなみに一年の時は右斜め後ろ。
沢田は勉強ができない。運動も、美術も音楽もあまりよろしくなく、つまり何ひとつの取り得もない。加えて性格は消極的という、世間からすればおそろしく基準以下の道を爆走している人間である。
そんな彼を周りはこぞって「ダメツナ」と呼ぶ。俺はあんまりその呼び方が好きじゃあない。
それは別に偽善者ぶりたいわけでなく、単純に、沢田がそこまでダメな人間に思えないからであって。彼はただ、何をするにもとことん不器用で、要領が悪いのだ。
だけどその分ほかの連中より一生懸命で、消極的に見えるのも、どうすれば相手と角を立てないで会話できるかを考えすぎている節があるだけで。
周囲の人間観察が癖である俺にとって、だから彼はとても、変わったタイプの人間であった。めずらしいことに、良い意味で。
つまり俺は沢田のことが嫌いじゃない。むしろ割とすきなほう。
隣の席になって気づいた。彼は結構な笑い上戸なのだ。
幸いな事に俺は、人間観察で培った物真似をはじめとするちょっとした笑いの才能に恵まれているらしく、自然とクラスを笑いで満たすことに貢献していた。
笑い声の渦に紛れるようにして、ちいさく笑う沢田の声は独特だ。くすくす、でもなく、ふふふ、でもない、言うなれば、ほわほわって感じの。
大口を開けて笑っている女子なんかよりよっぽど上品で、何となく耳ざわりがいい。
それと同時に突き刺さるようにして寄越されるのが、たぶん獄寺の視線。獄寺は他の人間にはまるで無関心なくせ、沢田の事になると本気で人が変わったように過敏かつ過激になる。
顔だって平時は仏頂面なのが百面相。ある意味こわい。あのいかにもな一匹狼がどうして沢田にだけ……というのは、並中生徒と教師陣の疑問である。
だけど獄寺のはまだマシだ。もうひとつ、潜めるように誤魔化した、殺気めいた気配があるのを俺は気づかないふりをしている。
それは野球部エース、人当たりがよくクラスの人気者であるはずの、山本からのものだったので。
山本の性格が、周りが思っているものと多少のズレがあるのは小学校の時から知っていた。
その頃から世渡り上手で運動神経のよかった彼だから、周囲の人間にとっては嫉妬と羨望の対象だった。
それでも山本自身は、そんなものはまるで関係ないように誰にでも平等に接する。それはとても優しいように見えて、しかし慕って寄って来る相手にとっては、この上なく酷い扱いなのだ。
だってそこには何の感情も存在しない。どこまでも親しげにするくせ、絶対に心には踏み込ませない。
そんな誰にも拘らない彼が、唯一気にかけるのもまた、沢田だけなのだ。命の恩人というだけではない感情が、そこにある。そう思うとおり、あの自殺騒動も冗談でなく本気だったにちがいないと踏んでいる。
「沢田って笑うんだなー」
昼食時、購買で買ってきたでかいパンに齧りついていると、適当に集まってだべっていたヤツの一人が言った。こいつは沢田の前の席。
「なんだよいきなり」
周りが訝って訊ねると、少しだけ居心地悪そうに言葉に詰まった。
沢田は最近、あまりダメツナと呼ばれなくなった。獄寺や山本の目を気にしているのも理由のひとつだが、何より沢田自身の変化に、敏感なヤツは気づいているのだ。
基本、頼りなさそうな顔をしているのに、時々はっとするような表情をする時がある。
それは理不尽な理由でクラスメートが教員に詰られている時だったり、ちょっと俯いた時だったり、笑っている時だったり。
ここ数日は、何がなくとも思いつめたような、真摯な面持ちをしている事が多い。同じ中学生なのに、うすく頼りないその背中に背負ってるものが、計り知れないほど大きくて重いものなんじゃないかと、なぜだか思ってしまう瞬間がある。
「や、いっつも情け無い顔してるイメージあったんだけど」
「イメージってか、実際そうだろ」
「それがさー、笑ってるの多いんだよ。プリント渡す時とか、にこっと」
「意外だな」
「だろー? ちょっとびっくりしたっつーか」
ぶっちゃけ他の女子より可愛いぜ。
小声でさらりと投下された爆弾発言に固まっている連中を尻目に、俺はその話に加勢することにした。どうしてか癪だったので。
「うん、目ぇでかいしな。笹川くらい」
「そうそう、睫毛ながいし」
「おいおいおい、お前ら大丈夫か? 眼科行くか? それとも精神科のがいいのかこれって」
「はははは」
ほとんどが本気の言葉たちを笑ってごまかした。そこまで意固地になって主張するようなものでもない。どうせあとすこしすれば、こいつらだってうなずくしかなくなるだろう。
だって沢田のは女子のように造られたかわいさではなく、本人も無自覚の自然なものだ。
予鈴と同時に屋上から帰ってきた獄寺が、ドアを開けて沢田を促す。続いて入ってくる山本と、目が合った気がした。背筋がさむい。
うまくやってるつもりでも、同類ってのは厄介なもので、判ってしまう。
俺とおまえ、きっと同じだ。