標的157 ひばりさんの殺意の理由を本気出して考えてみた 
何もなく、果てはあってもひたすら真っ黒い空間に放り込まれて、光源はただひとつ自分だけ。 雲雀の匣から飛び出したハリネズミが造りだした密閉空間。有限の酸素を吸い切ってしまえば、確実に死ぬ。
「沢田綱吉を殺す理由があっても生かしておく理由が僕にはない」
厚い雲の壁の向こうから、明らかに愉しんでいる透き通るように響く声。このひとは、きっと十年前とまったく変わっていない。 人を傷つけるのをすこしも躊躇わず、いつだって生態ピラミッドの頂点に君臨する完全なる捕食者。だけど孤独なひと。
孤高というのは本当に格好良くて簡単な気持ちで真似できるようなものじゃなく貴いものだけど、めちゃくちゃさみしいものだって、本当の孤独なんだって、このひとは今も識らないまま生きてるんだろうか。 それとも、識ってはいてもピラミッドの天辺から降りられなくなってしまったんだろうか。 それを思うと、まさに雲雀によって絶壁に立たされているというのに、俺はなんだかとても、せつないようなかなしいような気持ちになってしまう。だけど絶壁の先は絶望だ。とりあえずまだ死にたくない。





そう思って絶壁から這い上がったのが数日前。不本意ながらもボンゴレの業を受け継いでしまった綱吉は、気まぐれで修行の相手を引き受けた雲雀によってボロ雑巾にされた後、 仰向けに倒れながら現在の家庭教師に様々の質問を投げかけようか迷いあぐねていた。

後になってどうして雲雀を家庭教師につけたのか、本来の役目である赤ん坊に訊ねれば、「ボンゴレの試練には本当の殺意が必要だから」らしかった (ってことは、リボーンじゃ本当の殺意は出せないってことか? なんで? ―――そう口走ったら本気で殴られたから二度と訊かない。あれでも充分な殺気だ)。
そういう経緯を経て、どうしても気になる事があったのだ。いくら慣れてきたとはいえ、雲雀と普通に話せるほど綱吉は成長したわけでも命知らずでもない。 だからこうして数日にわたって散々迷っては、すぐに去っていく背中を無言で見送るジレンマ。どうしても踏み切れない。

球針態をぶっ壊したあの日、「少しだけ僕の知ってる君に似てきたかな」と笑んだ雲雀は、綱吉の知らない綱吉を識っている雲雀。つまり綱吉が識らない雲雀。 十年という時間のなかで、雲雀が綱吉に対してどのように認識を変えたかなんて分からないから、昔と変わらない威圧感が漲っているかと思えば、不意に雰囲気がやわらぐその一瞬に戸惑う。 だから目の前にいる雲雀というよりも、恐怖の風紀委員長としての雲雀になら、ある程度の免疫ができたのだと思う。だけど正直言って家庭教師の雲雀には調子が狂ってしまう。




「十年後のオレ……ヒバリさんにいったい何したんだ?」
雲雀が殺すことを躊躇わないのは知っている。相応の理由がそこにあるのなら。理由なく殴ることはあっても、だけど命を狩るようなひとじゃないのだ、絶対に。 だからこのひとが綱吉に対する純粋な殺意に染まる理由を、単純に知りたかった。


「何もしなかったのさ」
…………しまった。
俺はその時確かに、世界が終わる瞬間を見た(比喩であって比喩にあらず。幻にしては厭にリアルだった)。
もう部屋を出たとばかり思っていた雲雀の声に飛び起きてぎこちなく振り向けば、温度のない視線が真っ直ぐ突き刺さった。睨むようにして眇められた眼の、変わらない黒に飲み込まれそうになる。 黒はすべての色を吸収してしまうのだと、どこかで聞いた。絵の具をぜんぶ混ぜ合わせたら黒になるのと同じように、雲雀はきっと何もかもを取り込んでしまうにちがいない。

―――それはとても相応しいように思えてしまう。けれど些細な違和感に否定のランプが点滅を繰り返す。ちがうちがうちがう。
そうだ、雲雀の存在はそんな、ただの色なんていうような、何かひとつの枠に収まるようなものでは決してない。 もし無理やりに押し込めるとしても、雲雀は雲雀というカテゴリにしか当て嵌まらないのだ。認識が確信に変わった瞬間、不安定に彷徨っていた心がすとんと真ん中に戻ってきたような気がした。

「見え透いた嘘にうなずいて、何の抵抗もしないで白蘭に殺された。愚かにも程があるね」
呟いて目を伏せた雲雀が一瞬のうちに距離を詰めた。疲弊した身体はまったく意思が通らないまま、あっさりと右手で首を掴まれる。あからさまに致命的な状況に雲雀の言葉が信憑性を増した。やっぱり俺はマフィアになんて到底向いてないと思う。

初めてふれられた手は、背筋が冷えるほどつめたかった。その手こそが自らの命を左右するのに、震えてしまうのはいつものような恐怖からではなく、そのつめたい手を取るのが誰ひとりもいないと解ってしまったからだ。 誰にも寄りかからず、寄り添う誰かも求めないまま生きてきたのだ。

まったく、超直感なんてちっとも良いもんじゃない。だってこんな、心臓が握り潰されるような気持ちはもうたくさんなんだ。

気道を潰されているわけでもないのに、どうしてか苦しい。首にふれるつめたさと一緒に沈痛な感情が流れ込んでくるみたいだ。押し潰されそうになる。 こんなにも痛む感情を持っていながら、どうして誰ひとりすらも撥ねつけてトンファーを握り続けているんだろう。なんで十年後の俺はこんなにさみしがりやのひとを放っておけたんだろう。
「ヒバリさん」
とにかく何かを伝えたくて、だけど言葉がきちんと整列してくれない。酸欠の魚になっている綱吉を見て、雲雀は笑った。それはとんでもなくやさしいのに泣きたくなるような、微笑みだった。
喉元にある右手は首の後ろに、持て余していた左手は背中に回る。項垂れるようにして肩に乗る頭の重みが、わけもなく嬉しい。
離れるなんてできるわけがない。たとえ縋るような両腕に身体が軋んでも。

「僕以外に殺されるなんて二度とゆるさないよ、綱吉」

こんなさみしがりやを放っておけるほど酷い人間にはなれないって、だってボンゴレに誓っちゃったんだ。

だけどきっとそれでよかったんだとおもう

2008/04/16
お題 / subliminal [ http://sbl.xxxxxxxx.jp/ ]
微笑み=19巻の表紙裏