教育/夢のあと/東京事変
 ドアを蹴破ると、書類の山に埋もれていた身体が飛び上がった。寝てやがったなこのナマケモノ。 確かにもう太陽はシエスタを示す位置に足を突っ込んでいるが、ドン・ボンゴレにそんなものはない。
 起き上がったその衝撃で雪崩を起こしていくおそろしい量の書類は、未決済なんだか決済済みなんだかまるでわからなくなっていた。 「あああオレの二日と五時間が……!」とかなんとか嘆いているそこのアホは本当にオレの教育を受けていたのかと半ば現実逃避をしたくなる光景だ。
 それに右腕も右腕だ。決済済みのものは運び出せばよかったものを、大方「十代目の睡眠をお邪魔するわけには……!」だの何だの思ってやめたのだろう。アホばっかりかこの屋敷は。
 そもそもが、半端なことばかりをしているから余計な書類が増えるのだ。いい加減腹を括って殺してしまえばいいものを。
「また殺せなかったのか」くつり、皮肉たっぷりに笑ってやれば、
「殺さなかったんだよ!」噛みつく元教え子に少年は近づき、鼻先がふれあう距離で噛んで言い含めるように吐きすてた。
「ダメツナが。直にそんな冗談言えなくなるぞ。すぐにだ」
 そうしてすうっと青冷めていく顔を見てようやく満足して顔を離す。そうだ、それでいい。
 動揺をごまかすように目をそらし、唇をとがらせる子どもの仕種で綱吉は呟く。
「なんだよ、お前もう家庭教師じゃないだろ」
「ほーう、てめえは今俺が家庭教師じゃないからって俺の渾身の教育をムダにしてやがんのか、ああん?」
 手に馴染んだ黒光りする商売道具を額に突きつければ、恩知らずの甘ったれは即座に両手で降参の意思表示をして「すみません先生!」と謝った。 もう家庭教師と生徒じゃないと言ったばかりの口で「先生」と呼ぶその根性の無さに舌打ちを返すと、「だってそれ実弾だろー!」と半泣きになった。
 肝心なことには疎いくせ、命の危機にはかならず反応する都合の良いその能力を、超直感と人は呼ぶ。そんな大層なモンじゃねえ。本能と大差ない。

 最初はこの軟弱でどうしようもない甘ったれをボンゴレの十代目に相応しく仕立て上げるのが少年の仕事であった。一発ブチ込めば終わりの本業とちがって、まったく手間と時間のかかる内容。 何といっても綱吉の根っこにある平凡至上主義の精神が、八年間もリボーンがみっちりねっちょり叩き込んでやった何もかもを一瞬で台無しにしてしまうのだ。手に負えやしない。
 だいたいにして、殺らなきゃ殺られるのが暗黙のルールであるこの世界で、死ぬのも怖い、殺すのも恐いじゃやっていけない。 例外は稀、すべて0か1で割り切らねばならない時はかならず来る。敵か味方か、虚言か真実か、生か死か。
 しかもついこの前だって、一度牙を剥いた下っ端同盟ファミリーを見逃したツケが回って再び命を狙われたくせに、「社会的に」再起不能にするだけに留まったのだ、このバカは。五体満足のまま。 確かに生殺しではあるが、ドン・ボンゴレに二度も歯向かった愚行への見せしめとしては甚だ生ぬるい。
 しかし実際のところ、リボーンはとっくのむかしに綱吉の太平楽の矯正をやめていた。 仕事を終え、家庭教師の大義名分が意味を持たなくなった今もなおこうして繋がりを結び直しつづけるのは、だから単なる気紛れでも出血大サービスのアフターケアでもない。 ボンゴレ十代目であり、いつまでも甘ったれなジャッポネーゼの「沢田綱吉」を生かしつづけるためだ。
 仕事が手段に変わったのがいつなのか、リボーンはさっぱり憶えていない。ただ、気がついてからはあっさり認めた。往生際悪く否定したところで、空っぽだった身体に生まれた感情は綱吉に傾く。 そうなれば初めて「心」を持ったリボーンに為す術なんてないのだ。だって制御の仕方がわからない。
 あるいは随分と前から無意識に仕組んでいたのかもしれないが、守護者が綱吉の身近な人物であったことは、結果的に大きく作用した。まあ元より守護者とは大空へ集まるものなのだ、当然といえば当然である。
 抱え込んでしまった手前、ボスにならずに獄寺を手放してまた独りにさせるなんて悪者の真似をこのお人好しができるわけもなく、ましてや一般人だった山本や初恋の女の実兄を巻き込んだあげく安易にボスを辞めるなんて言い出せるはずもない。 つまり綱吉が辿る道はボンゴレボス、ただそれひとつしかなく、退路も抜け道もすべて潰した。そうなるようにリボーンが決めた。
 ドン・ボンゴレにさえなれば、綱吉の命が脅かされることはない。嵐も雨も雲も晴も雷も霧も盾になる。残る六色の同胞もまた然り。そしてたとえその誰もが倒れ伏したとしても、本人が望まないかぎり、彼の命が尽きることはありえない。 なぜなら最後の盾になるのはリボーンだからだ。死神までもが焦がれる大空は、決して閉ざされることはない。

 銃をしまって、怯えて挙がったままの右手を引っ張り、てのひらに口づける。……そういえば、キスの格言を教えたことはなかったか。
 真っ青な顔がすぐさま紅く染まっていくのを見て、リボーンは本当の本当に満足して笑った。ボルサリーノの下で。
(ツナ、しっているか、オレの大空)
 世界のすべては、おまえを生かすためにある。

この結び目で世界を護るのさ

2008/11/16
策士な先生
キスの格言はまたあとでネタにします(使いまわs略)