教育/群青日和/東京事変 
 去っていくちいさな背中を睨むように見送るあいだ、精巧な彫刻の施された執務室の扉が閉まるまで、綱吉は瞬きのひとつもしなかった。まるで何かをさがすみたいに。
 閉扉音が厭に響く広い執務室の大きな机の上、頭を抱えて項垂れる姿を見て叱る声はない。当然だ。追い出したのと同じなのだ、その声をくれる唯一の人物を。自嘲すらできない。
 それでも、諦めてしまった顔で理不尽を受け止める先生を、綱吉は見ていられなかった。
 止められない罵倒。どんなに隠していたって、吐き出す言葉のひとつひとつに傷ついているのを識っている。そんなやさしいひとを、だけど傷つけずにいられないのだ。まるで悪魔。
 臆病な先生。周りの誰もが思っているのより、むかしの綱吉が考えていたのより、本当はずっとかなしくてやさしい先生。死神なんて呼称を心底憎んでいるくせに、綱吉のためだけにそう名乗るのだ。 人を殺したことを嘆いている生徒より、自分のほうがよっぽど酷いやつなのだと言外に伝えるために。
 それがどんなに痛みを伴うのか識っていながら、綱吉はそのやさしさに甘えている。
 綱吉さえ覚悟を決めてしまえば、きっとお互い苦しい想いはしなくなる。人を殺すことの罪悪も嫌悪も憂鬱も呑み込んで諦めてしまえば楽になれる。けれどそれは、「沢田綱吉」を捨ててしまうのと同じことだった。 日本で生まれ育って平和と日常を愛していた人格を失うことだ。そして二度と戻らない。
 本来なら、ボスに就任した時点でそうしているべきだった。しかし綱吉がそれを何よりも恐れているのを理解していた先生は甘やかしてしまったのだ。そして綱吉の心のすべてを理解しているからこそ、苦しむ綱吉を見てくれなくなった。 それがかなしい、つらい、憎らしい。
 そうだ、綱吉がリボーンの何を憎んでいるかって、罪悪感にさいなまれて綱吉から目をそらしたこと、ただそれだけだった。ボスになったのも人を殺したのも、結局は綱吉の意思だった。 だから彼が罪悪感なんてまったくの筋違いに囚われているのがかなしい。
 後悔しなくたって甘やかさなくたって、「ダメツナ」と嗜めるその声だけで綱吉には充分だったのだ。
 けれど何より、こうやっていつまでも自分を棚上げにしてリボーンを責めているのがいけない。これだからいつまで経ってもダメツナなのだ。
「待ってろよリボーン」
 もう姿の見えない相手に捨て台詞を投げつけて、綱吉はようやっと自分に喝を入れてみた。ここまできたら、覚悟を決めてやろうじゃないか。今度会ったときには、ちゃんと言葉にして言うのだ。なんだか情けなくって泣けてくるけど、このまますれちがっていくのだけは死んでもごめんだ。
 だって綱吉は何よりも、彼の眼に映ることだけ望んでいるのだ。

ちゃんと教育して叱ってくれ


2008//
あああごめんなさいツナがかわいくない ね …orz