「可愛い人なら捨てるほど居るなんていうくせに」
 長い長い長いデスクワークがやっと終わった。どっかのバカな宗教団体がテロごっこなんかやらかしてくれたせいで、部下であるそれ以上のバカどもが派手に暴れまわった。おかげで事後処理に追われた綱吉は、数日前から文字通りにフルスロットルで働いていたのだ。
 けれど先程ようやく最後のサインを終えてきた。いつかの誕生日、プレゼントにもらった繊細なつくりのガラスペンが折れなかった(正確には「折らなかった」)のは奇跡にちかい。
 血の巡りが鈍った頭と身体と荒んだ心を休めるために向かった私室で、しかしながら入室前におもわず膝をついてうなだれてしまった。
 綱吉の私室に我が物顔で入り浸るのはいつものことなので口出しはしないが、花を飛ばして鼻歌を歌っている様子に「ああ、またか」と内心で舌打ちする。
 愛と芸術にあふれかえるこの国で暮らすようになってから、おんなじ類の男は幾度となく見てきたし無粋なことは言いたくないが、それにしたって最近どうも頻繁すぎやしないか。書類の山に埋もれそうになりながら、日々忙殺されている身としては心底憎らしい。
 花束とプレゼントとをティーテーブルに並べる先生が身に纏うスーツはナポリスタイル。型紙を創らずに生地へ直接裁断イメージを描き、すべて手縫いで仕立てられるため、目玉がうっかり落っこちるくらい値が張る品だ。しかも本当に良いものには金を惜しまない彼のこと、フルオーダーにちがいない。
「ずいぶん着飾ってるなー先生」
「今日はモニカの誕生日だからな」
「先月は?」
「ニコレッタのリストランテ開店記念」
「……三ヶ月前」
「ガブリエッラの就職祝いとキアーラの大学卒業祝い」
 もはや言葉も出ない。ひと月さかのぼるごとに違う名前が出てくることに閉口している綱吉にはお構いなく、ご機嫌な先生はプレゼントの箱を眺めて満足そうにしている。
 もう何も言うまい。ベッドに倒れる前にいちおう部屋着に着替えながら綱吉は誓った。だって知り合った赤ん坊の姿の時点で愛人が最低でも四人居たのだ。しかも性格はどうであれ、殺し屋としても女性としても申し分ない魅力を持ちあわせたあのビアンキが四番目。
 そんな生まれながらのドン・ファンである彼は、男女とわず世界中の誰もが振り返ってしまうほどに凄艶な現在、いったいどんな絶世の美女をどれだけ侍らせているのか。 想像力に乏しい脳みそで想い描いてみてもちっとも明確なイメージは掴めなかったけれど、無性にむかついたのでやめた。男としても純粋に妬ましいし、それになんだか、顔も知らない不特定多数の誰かたちにもすこし苛立ってしまった。
「お前よくそんな誕生日やら記念日やら憶えてるよなあ」
「愛人を大切にするのはマフィアの常識だぞ」
「そもそも愛人がそんなにいるのがおかしいんだよ。そろそろ」真面目に恋愛しろよ、とうっかり説教をかましそうになって、しかし綱吉はとある重大なことに気がついた。 「ん? ていうか『愛人』ってことはちゃんと『本命』がいるってこと?」
 めずらしく核心をついたらしい綱吉の質問に、これまためったになくちょっと驚いてみせた先生は「いい推測だぞ、ツナ」との褒め言葉をのせて、うすくかたちのいい唇をチェシャ猫よろしくニヤリとさせた。本当に、ぞっとするほど嫌味な色気の持ち主でいらっしゃる。
 それにしても驚くべきことに、褒め言葉を真に受けるなら彼には『本命』がいるらしい。てっきり誰にも本気になれないせいで博愛主義者の真似事をしているのかと思いきや、はてさて。
「うっわ、そのひと可哀想〜。今頃泣いてんじゃないの?」
「そんな可愛げがある奴じゃねー。へらへらしてやがる」
「困らせないように無理してるのかもしれないだろ! 健気すぎるよ」
 『本命』と言いつつもかなりないがしろにしている感が否めない家庭教師様に、さすがに眉を顰めてしまう。
 相手がどんなに素晴らしくド天然であるにしろリボーンのフェイクスキルが卓越しているにしろ、これだけ派手に遊び歩いていれば気がつくだろう。女の勘は侮れない。 この浮気者の悪癖を知りながらそうして笑っているのだとしたら、健気を通り越していっそ女神だ。今までの経験で彼の鬼畜さと理不尽さを身を以って知っている綱吉からしても、不憫すぎて居た堪れない。
 心からの糾弾にちょっとくらいは反省するかもしれないとの予想を裏切って、むしろリボーンは目を輝かせながらのたまった。「そうなのか?」
 ――忘れていた。鬼畜でドSで歩く理不尽である彼は、異常なまでのご都合主義者でもあった。いつでもなんでも自分に都合よく解釈してくれやがる。
「いや、オレに訊かれてもわかんないし!」
「てめーに訊かずに誰に訊くんだよ」
「オレなんかよりお前のほうがそういうのわかるだろー!」
 後退する綱吉に詰め寄るリボーンの瞳は、上機嫌なのか不機嫌なのか既に判別不可能なほどぎらぎらした光を宿している。寝不足と叫んだ反動で、頭の中では大音量で鐘が鳴り響いている。
 とうとう体力的にも距離的にも限界を迎えた綱吉は、つまづいたベッドに背面ダイブした。高級品の名にふさわしく身体が跳ね返っても衝撃はまったくない。ああ、お久しぶりです、安らかな睡眠。
「で、どんなひと?」
 うつ伏せになって目を閉じたまま、半分意識を睡眠へ突っ込んだ状態で、おそらく見下ろしているのだろうリボーンへ向けて訊いてみた。だって気になるじゃないか。この鬼畜でドSで以下略な真性のプレイボーイが惚れるひとなんて、美女のハーレムより想像がつかない。
 踊り狂う好奇心とは裏腹にすこしだけさみしい心地がするのは、もしかしたら子供を嫁がせる親心とか、そういうもんなのだろうか。
「…………教えねー」
「なんだよーちょっとくらい教えろよー」
 ケチ、と聞こえないように呟いたのに、優秀すぎるヒットマンはそこまできちんと拾ってくれたらしく、両頬をつままれ左右におもいきり引っ張られた。心地よいまどろみから一転、激痛に悶える。
「あででででででで!」
「どうしようもないバカで救いようのない天然でこっちの気持ちにも気づかないような超鈍感人間、って言や満足か、あ?」
「いひゃいいひゃい! ぎふぎふぎふ!」
 耳元で怒鳴られたドスのきいた低音は、疲れきっている脳に二日酔いのごとく直接響く。
 涙で前が見えなくなった頃、ようやく解放された頬はじんじんと疼いて指の感触をまだ残している。千切れるかと思った、本気で。
「痛ってえええ! ちょっとは手加減とかしろよ!」
「てめーが悪い」
「ていうか、え、なに、片想いなの!?」
 頬の痛みで聞き取れまいとでも思ったのか語られた、罵倒にしか思えない想い人の人物像を思わせるセリフを、それでもしっかりと聞き取っていた綱吉は悔し紛れに反芻して痛いところを突いてやった。 それはもしかすれば人生初めての、無敵完璧な先生への反撃だったかもしれない。実際、リボーンのポーカーフェイスが崩れたくらいに大きなダメージだった。
 ところがあんまり意外な展開すぎて、それをネタに今までの仕打ちへ仕返しするという選択肢を見失ってしまっていた。その無自覚さが余計に、慕ってくれる相手を傷つけていることを綱吉は知らない。
「て、め、え、が、言、う、な」
「わああああそれ今すげー禁句! そりゃ万年片想いだけど! 告白もしないで終わったけど!!」
 先生がこめかみをグリグリやりながらご丁寧にも一言ずつ強調して言って下さったとおり、つい先日、十年以上憧れつづけた笹川京子についに想いを告げようとした矢先に天使の微笑みできっぱり「お友だち宣言」されてしまった傷はまだ深い。 ついでに言えば、そこを訂正して告白するという勇気さえないチキンな自分への失望もあいまって、こめかみよりも心が痛い。
 叫んだ途端、頭蓋骨に穴を空ける勢いの拳骨をぱっと離して、先生は体中の酸素を吐き切ったかのような長い長い長い溜め息を吐いた。ちょっと哀愁さえ漂っているように思える。出会い頭のるんるん気分のかけらさえ見当たらない。
「鈍感もここまでくるといっそ才能だな」
「『ドン・ボンゴレ』に言うセリフか!?」
「随分トチ狂ってんじゃねーかてめーの『超直感』とやらはよ」
 ブルーな雰囲気を背負って立ち上がったリボーンは、疲れたようにティーテーブルへ歩み寄って花束とプレゼントを手にした。ぼちぼち待ち合わせの時間らしい。多少くたびれていても気障なアイテムが様になる風采と、都合のよい暇つぶしにされた感が混じりあってかなりおもしろくない。投げかける言葉にもつい棘が出てしまう。
「そんなに愛人つくってるから振り向いてもらえないんじゃないの」
「ニコレッタともガブリエッラともキアーラとももう別れたぞ。あとビアンキ達ともな。モニカで最後だ」
 なかなかどうして、今夜も眠れないらしい。何度目になるかわからない驚愕で飛び起き、すっかり目が冴えてしまった綱吉は絶叫すら忘れてひたすらリボーンを食い入るように見つめるしかなかった。 最近やたらとデートの回数が頻繁だと思っていれば、片っ端から三行半を突きつけていたのか。しかもわざわざ記念日ってあたりが惨い。
「別に割り切った付き合いだから惨くはねーぞ。ビアンキはちょっと苦労したけどな」
 そりゃあそうだろう、と彼女の溺愛ぶりを識ったうえで後半の呟きにうなずく綱吉は、読心術で心を読まれることにはもう慣れっこなのであえてツッコまない。しかしそのビアンキにまで別れを告げたとなれば、どうやら本気の本気でご執心らしい。ついこのあいだのツチノコ発見よりもミラクルだ。アンビリーバボーだ。
 綱吉がそうして呆けているあいだに、リボーンは再び身ごしらえをして気合いを入れなおしていた。これから別れ話を持ちかける男の出で立ちとは思えない。 そして最後に愛用のボルサリーノをかぶり直して部屋を出る直後、リボーンはちょっと立ち止まってから呟いた。「六月の十八日、明けとけよ」
「え? なんかあるっけその日」と、綱吉が慌てて訊ね返す途中で扉は閉められたが、かろうじてその返事は部屋に滑り込んだ。ほんのちょっとだけ、気のせいかもしれないけれど気恥ずかしそうな声とともに。
「――そりゃあ、明けとかないとなあ」
 独りごちて、綱吉は枕に突っ伏した。眠気はとっくの昔に吹っ飛んでいたけれど、ちがう意味でダウンしそうだ。つねられた頬にもまた熱が集まってじんじんする。胸のなかのもやもやした気分もちょっとした優越感に変わっている。 おまけにどうしてか、すこし泣きそうになってしまった。
 何てったって、六月十八日、その記念日の名前は「オレたちが出逢って十年目だ」そうなのだ。

どうして未だに
君の横には誰一人居ないのかな

2008/12/20
タイトル // 正しい街/椎名林檎
先生が乙女で余裕なさすぎて別人ですばくしょう