(!)微エロ注意報(ちょうぬるいですけれども!)
後部座席の人物は、どんなに品のよいスーツに身を包んでいても貧相このうえなく、どう見ても子供にしか見えない。なにより膝を抱えているポーズが普段よりもいっそう幼さを強調していた。
「ザンザス、飛ばして」
平時ならば絶対にありえない要求を耳にして、ハンドルを握るザンザスは鼻で笑った。
アクセルを平踏みすればぎゃんぎゃん喚いて制限速度遵守を訴えるビビり屋が、まさかこんな台詞を吐く日が来ようとは。声音にも表れているように、それだけ切羽詰まっているのだろう。
人通りもすくなく灯りさえ乏しい路地裏の狭い道を、愉快な心地で敢えてゆっくりと進む。いつもの腹いせ、と言えば軽く聞こえるものだが、相手にしてみればまさに地獄のようだろう。
「ちくしょう、お前ってそういうやつだよな知ってたよ知ってたけど」
息継ぎもせず捲し立てる声は今にも泣きだしそうにひっくり返る。それがおもしろくてわざと片道に寄せて車を止めると、やはり抗議の声が上がった。
「なんで!?」
「随分辛そうじゃねえか、綱吉。介抱してやろうか」
「そんなに酔ってねーよ! 酔ってたとしても死んでもお断りだ! だからまじ勘弁ほんとおねがい早く帰ろう」
半泣き状態で懇願する姿は哀れっぽくて、余計に嗜虐心を刺激する。これだからあのいけ好かないヒットマンのクソガキもエスカレートするのだ。
昔から「趣味はツナの教育」なんてふざけたことを言って憚らなかったマフィア界屈指の殺し屋は、なにやら最近「教育」を「調教」にグレードアップしたらしい。アヤシげな道具を手に教え子を追いかけ回しているともっぱらの噂であったが、それは真実に違いないというのがヴァリアー内全員一致の見解である。
完全にエンジンも切って運転席から後部座席へと足を踏み入れる。そうすると綱吉は焦燥や怒り、怯えと泣き顔が混じった複雑な表情で座席に貼りつく。どうやら「調教」は彼の自衛能力を育てたらしい。身内にはとことん甘いこの男にそんなものはまるで無意味だが。身内にこそ色々と危険なのがうじゃうじゃいるのだ。
「なんで来るんだよ! 運転席戻れ早くオレを屋敷に帰らせてくれ!」
「飛ばしてもどうせ間に合わねえだろ」
「だからってお前がこっち来る必要ないだろっ!」
とうとう隅にまで追い詰めた愉悦感のまま笑って、膝を折りながら抱きしめるようにして自分の身体を護っている綱吉の片足を引っ張る。食っても食っても肉がつかないと日頃嘆いている痩躯は容易に座席へ転がった。
「わあああやめて来ないで離してください離れろってば!」
必死の形相で抵抗する手足はザンザスめがけて本気の攻撃を仕掛けるが、生憎と伊達に暗殺稼業の頭をやっているわけではない。
蹴りあげようとしてきた足を片手で押さえ込み、殴りかかろうと伸びてきた右手をあっさり掴んでそのまま指のあいだに舌を這わせると、罵倒を繰り返して暴れていたのが嘘のようにぐう、と唸って俯いた。
「そろそろ効いてきたか」
綱吉の手を唇に添えたまま囁くと、「な、なんのこと?」という白々しい返事が返ってきた。この状況でまだ空とぼけるなんて、まったく馬鹿にも程がある。
小一時間前、二人はとある敵対ファミリーの交渉に出向いていた。しかもザンザスがツナの護衛をするのは、実は今回が初めてのことである。
綱吉の超直感は、「確実に一波乱起きる」と告げたらしい。さらには武器の持ち込み禁止、護衛は一人のみ、という徹底した条件つき。
本来なら天下のボンゴレにそんな喧嘩腰の要求をするほうが阿呆なのだが、現在のボスがそれにひとつ返事で頷いてしまうくらいの阿呆の極みであるせいでザンザスが駆り出されたのだ。理由は「得物要らないから」
つまり、ほかの無能な守護者たちと違い、いざとなれば得物に頼らずとも手打ちで憤怒の炎を打ち出せるザンザスに白羽の矢が立ったというわけだ。同じく得物要らずなはずのマーモンは残念ながらザンザスの命令で出張中である。
しかし意外にも交渉相手は物腰やわらかでボンゴレを貶めようとする言動は微塵もなく、拍子抜けしてしまう程「穏健派」にふさわしい人物だったのだ。先代からファミリーを継いだばかりで年も比較的若く、古い考えに固執しないフラットさも持ち合わせている。流されやすい綱吉は当然、その空気に絆されてすっかり親しみを持ったようだった。
大した害もなくそのまま交渉がまとまりそうになった途端、相手は改まって「最後にひとつだけ」と条件を付け足した。さすがの阿呆もこれには身構えて、「なんでしょう。もちろんこちらにも都合はありますよ」なんて気取った口調で釘を刺した。
すると相手はにっこり笑って「なに、あなたにとっても悪い話じゃあない」、言いながらちらりとザンザスを一瞥した。その眼がただの温厚な人間のする眼ではないのをザンザスは見逃さなかったが口は挟まない。このあとの展開が手に取るように想像できるからだ。
男は側近に紙とペンを持って来させ、さっとペンを走らせた。そして側近を伝って綱吉へと紙を差し出した。
紙に目を通した綱吉は言葉を失い、顔をまったくの無表情にして数秒固まった。それを見てザンザスは内容を見るまでもなく想像が当たったと確信した。
綱吉は年齢のわりに童顔で、日本人男性の平均さえ下回る身長と体つきをしている。加えて部下や家庭教師を始めとする変態たちに常時囲まれている。以上の理由から業界でも「そういう気のある」人物に見られやすいのだ。おおかた今手にしている紙にもそういう「お誘い」の類いが書かれているはずである。
しかし根っからのノーマルだと腹の底から主張する彼にとって、そういった類いの話は激昂するほど迷惑な勘違いなのだそうだ。
「大変申し訳ないんですけど」無表情から一転、見る者を凍りつかせる笑顔で綱吉は吐き捨てた。「オレにはそーゆー趣味ねーよこの変態どもがあああ!」
最後のほうはもはや咆哮にちかく叫び声だった。ちなみに複数系なのは彼がいままでに出逢ってきた変態たちへも向けられているからだろう。
これ以上ない屈辱を受けたハイパーモードの綱吉を止められる者はその部屋に存在していなかった。唯一止められるはずのザンザスは言わずもがな悪乗りして破壊行動に加勢したのだから。
「あんたはいい人かもって思ってたのに! 普通に仲良くなれそうって思ってたのに!!」
相手方のボスをタコ殴りにしながら気がおけない友だちのすくなさを暴露する綱吉に、同情する気は更々ない。ただ声をかけるとするのなら一言。体質の問題だ、諦めろ。
かくして一波乱は交渉決裂で幕を閉じた――はずだった。けれどザンザスは相手方のボスが結構本気で綱吉を狙っていたのを、あの眼を見るずっと前から知っていた。なぜなら綱吉の飲んでいたワインにはある仕掛けが仕込まれていたのだ。
綱吉からの仕事は引き受けないことにしているのに、どうして今日気まぐれに乗り気になったのかがなんとなくわかった。ボンゴレの血が流れていなくとも、ザンザスの勘は常人よりも冴えている。
「ワインに薬仕込まれただろ」
込み上げる笑いを噛み殺して認めたくないのだろう事実を突きつけてやる。真っ青になった綱吉は目を瞠って首を勢いよく横に振った。
「どんだけ往生際悪いんだよ」
悪あがきもここまでくるといっそ呆れる。どうしたって否定できないところにまできているというのに。
「そんなんあってたまるか」
「はっ、強がってられんのも今のうちだぜ?」
向かい合うように膝上に抱き上げてシャツの中の背に手を滑らせる。背骨を辿るように撫で上げると、かるく仰け反った綱吉は息を詰めたあとに「最っ低だ」低く唸った。抵抗する気力もないくせによくもまあそんな口が利けるものだ。
だいたい、「超直感」なんてご大層なものを持っていながら、どうしてあんな素人目にも判る下衆な手に引っ掛かるのか甚だ疑問だ。命の危機にしか反応しないなんてどれだけ陳腐な能力なのか。相手も業界内の噂を確かめるための一か八かの賭けであっただろうに。だから綱吉が口をつけたことで調子に乗って「最後の条件」を付け足したにちがいない。
「なんでオレばっかこんな目に……っ」
「てめーが悪いんだろうが」
一時間前まではそういう体質なのだと思っていたが、ここまでくるともはやそれどころの話ではない。完全に意識の問題だ。あんな環境にいて自己防衛や警戒心が働かないというのはそういうことだ。その甘い意識のお陰で今の状況を楽しんでいるわけだが。
太股や脇腹をなぞり上げるたび引ける腰を押さえて好き勝手にまさぐっていく。抵抗のつもりでザンザスのスーツを掴んでいるのだろう両の手は、しかし力が入っていないせいで縋っているようにも見える。実際、頭はすでにザンザスの肩へもたれていた。暗闇のなかでも青白く映えるうなじに歯を立て、舐め上げる。跳ね上がる身体から高い体温と荒い呼吸が直に伝わってきて、そろそろ限界にちかいことを知らせる。
「助けてほしいか?」
舌を差し込みながら耳朶に直接囁きかけると、力の入っていない身体がかすかに揺れた。恨みがましい眼で睨めつけたあと、綱吉は観念したようにぎゅっと目を瞑ってちいさくうなずいた。あまりにもお誂えの状況におもわず笑ってしまう。どんなに抵抗しても結局は流されてしまうのは十年前からちっとも変わらない。
「う、うう…っもうやだ死にたい……」
「言われなくともイかしてやる」
「あああもうやっぱお前が死ね!!」
うるさい口はそろそろ塞いでくだらない護衛の報酬を払ってもらう。一応それ以外にもちゃんとした見返りは約束されているものの、まああれだ、日本風に言うなれば、据え膳食わぬはなんとやら。