むしろ山本が不憫なだけの話
 比喩ではなく泣く泣く出張中の獄寺に代わって本日の予定の打ち合わせの途中、ツナの携帯が鳴り出した。見るも豪奢な執務室に、マリオが土管に入ったときの微妙におどろおどろしいメロディが流れる。 彼のゲーム・マンガ好きはドンになってもおさまらなかった。新作が出るたびにわざわざ日本製のものを取り寄せる姿を見て、こちらも変わらず独自の勢力を作って「委員長」と呼ばせている先輩は呆れた溜め息を吹きかけていた。
「ごめん電話!」ディスプレイを見て相手を確認したツナは、慌てて電話に出た。「チャオ、リボーン。電話なんてめずらしいね」
 リボーンはツナがボンゴレに就任したその日にフリーの殺し屋に戻った。パーティにすら参加せずに本業に腰を据えなおしたヒットマンは以前にも増して売れっ子らしい。 けれど選り好みが激しくお安くはないリボーンは仕事に忙殺されることなんかなく、むしろちょくちょくボンゴレ邸に訪れてはツナを構い倒して去っていく。
 そしていまだに「ドン・ボンゴレ」へ不吉な挨拶をしに来ないというのは、そういう類の依頼は一蹴しているにちがいない。 いくら家庭教師だったのが周知の事実であっても、フリーに戻った時点ですべての利害関係はリセットされる。たとえ少年の姿をしていても、何せ赤ん坊の頃から彼は一流のヒットマンなのだ。仕事に私情を挟むわけがない。それなのに一度だって仕事として銃口を向けたことがないのは、つまりそういうことだ。
 けれど正直なところ、ツナが就任したあともずっと傍にいるのだろうと思っていたオレは面食らった。まるで影のように寄り添っていた姿が見えないのはなんだか変な違和感を覚える。
 それでもリボーンがフリーに戻ってすこしだけほっとした現金なやつはオレだけじゃないと思いたい。なぜならリボーンがいるとツナに一定距離以上近づけないからだ。 物理的にどうこうされるわけではないのだが、つめたい殺気のようなものに足を押し止められるのだ。
 受け答えをしているツナはずいぶん嬉しそうに見える。電話一本でこんな顔をさせることができる事実に、うっかり苦い悔しさを噛みしめてしまう。
 屋敷に来る時だってそうだ。散々な目に遭っているくせに来れば一瞬ほっとしたような顔をするのだ。離れているからなおさらなのかもしれない。もしそれを狙ってフリーに戻ったのだとしたら、まちがいなくの大成功だ。
 なんだかまたしょっぱい気持ちになりかけた矢先、見つめていたツナの表情が驚愕に支配されたかたちで固まった。何事かと眼前で手を振ると、我に返ったツナは「……えっ、あ、ううん、や、なんでも。ホントだってば、うん、うん、じゃあ」上の空のまま電話を切った。
 通話をやめてからもツナはしばらく携帯を見つめつづけていた。そうしてようやく顔を上げたかと思えば、処理しかけの書類にぼたぼたと大粒の涙を降らせる。作り直し決定だ。
「や、やまもとお」
「ん? どうした?」
 涙声の幼さが際立つ口調で名前を呼ばれると、つい日本にいた頃を思い出してしまう。此処に来てから色々な世界を識った。様々な壮絶を肌で感じた。どうにもならないことを割り切る術を覚えた。だけど何ひとつ色褪せず残っている日々の想い出は、いつだってオレの心を救ってくれる。

 出逢ってから中学へ上がるまでずっと、ツナへ対する自分の気持ちは純粋にまっすぐな好感だと思い込んでいた。
 けれど高校に上がってからは相変わらずツナにべったりな獄寺に漠然と「負けたくない」と思うようになったし、何だかんだでツナを構いに来る先輩方にもおもしろくない気分になったし、何より進んで肩を貸していたはずのリボーンにむしゃくしゃするようになった。
 思考がぐるぐるして煮詰まって絡まって、結局その正体がわからなくてツナとかなりぎくしゃくした時期があった。しかもちょうど告白してきた1コ下の女子となんとなくで付き合ってしまった。かわいい子だったしそれなりに楽しかった、けど、常に「なんかちがう」感が否めなくて、結局すぐに別れた。
 そうやってさんざん迷って寄り道してようやく解ったのが、高校卒業の日にツナに質問された瞬間だ。
「山本。もう何もかもごっこ遊びじゃないのなんて、ホントはわかってるよね?」
 めったに見ない本気の眼は、何かを護るためのもの。心から護りたいとねがうツナの意思表示。それをオレのためだけに向けてくれている。たった今だけだとしても。
「オレは今からイタリアに行く。でも山本、オレは、山本には日本で野球やっててもらいたい。山本には人殺しなんて似合わないよ」
「なあツナ、でもオレはお前の側にいたいのな」
 ごっこ遊びなんかじゃないのは、もうずっと前から気づいていたのだ。けれど解りたくなかった。解ってしまったら、きっとツナはオレを切り捨てると思った。残酷なくらいにやさしいから。オレが好きなもの、大事にしてるものを優先しようとするから。それでもオレはたとえ今ある何を犠牲にしても、ツナと一緒にいたい。すべてオレのエゴだ。
「でも、山本、」
「だからオレもイタリア連れてってな?」
 言い募るのを宥めすかすように笑ってみせた。もしもツナのねがいがオレのためじゃなく、本当にツナ自身のねがいだったとしても、離れてしまうのだけは耐えられなかった。
 そうしていきなり泣き出したツナはしゃくりあげながら途切れ途切れに「ありがとう」と「ごめん」をひたすら繰り返した。あんまりにすごい泣き方なものだから戸惑ってしまってどうしたらいいかわからず、思いあまって元カノにしていたように抱きしめてしまった。抱きしめてしまったらもうだめだった。悪かったなあ、罪悪感が募った。元カノに。
 オレは付き合ってるあいだじゅう、ずっとツナと比べてしまっていたのだった。ツナと比べてしまったら、そりゃあちがうよ。何てったって命かけてもいいくらい、オレはツナがすきなんだ。抱きしめるだけで心臓が痛くなるくらいすきですきでたまらないんだ。

 六年前と同じようにして腕のなかにいるツナに、心臓は相変わらず軋むように痛い。その理由を知っていても、だけど腕を解くことはできない。だってあの時以上にオレはツナをすきになってしまった。
 今この瞬間だけだとしても。指先がふれるだけの、瞬きのあいだに終わってしまうようなふれあいだって、たったそれだけのために生きていけるのだから。
「うっ、リ、リボーンが、か、帰ってくる、て、っ」
 リボーンが屋敷に来ること事態はよくある話だ。別段特別(ボンゴリアン系)な行事があるわけでもないのにこんなに泣くなんて、それなら、と考えをめぐらせて「書類たまってんの?」
「しょる、い、たまって、のは、ううっ、いっつも、けど」
 たしかにそれが主な原因で毎回毎回殴られたり脅されたりの大惨事になるのを忘れていた。未決済云々というより、そのせいで自分が疎かにされざるを得ない状況が許せないのだと思う。何てったって世界一プライドの高いリボーン様だ。
「じゃー貰ったもん壊した」
「そ、たら、電話なんか、出れないよおおおう!」
 そりゃそうか。ツナの良くも悪くも正直な性格を識っている人間なら誰でも頷くだろう。どんなに些細でも後ろめたいことひとつあれば、あんな風に冷静でなんかいられない。
 ここまで来ると思い当たる原因は見つからないのだが、ついに号泣しはじめたツナに直接訊ねることは不可能にひとしい。
 どうしたもんか、と困りながらうすい背中をさすっていると、馴染んだ殺気が身体を襲った。背筋を這い上がってくるようなつめたさに冷や汗が出る。
「よう、ずいぶんな歓迎じゃねーか」
 黒を纏ったような少年が扉の前で銃を構えている。オレンジ色した帯のボルサリーノからすこしだけ覗く双眸が不機嫌を鮮やかに映し出している。
「うわ、いや! ちょっとこれは誤解……」
「リボーン!!」
 ちょっとだけツナのためと大きく自分のために弁明し終わる前に、ツナが飛びつくようにしてリボーンに抱きついた。常ならば銃を乱射しようとするリボーンから逃げるのに、超死ぬ気モードかと見紛うくらいの素早さで。これには当のリボーンも相当驚いたらしく、銃を構えたポーズのままで大人しくツナに抱きしめられている。
「……おい山本、何があったんだ」
「んー、オレにもさっぱりなのなー」
 自分よりまだちいさい身体にしがみつきながら、未だにえぐえぐやっているツナからは真相を訊き難い。とりあえず泣いたのは恐怖心からではなかったらしい。それじゃあそんなに逢いたかったのだろうか。危険な仕事をしてきたわけでもないのに?
 声は出さないが視線だけの遣り取りで互いの情報が解決に結びつかないのを確認しあってから、リボーンが溜め息をつきながらツナの拘束を剥がしにかかる。「ツナ、どうした」
 面倒くさそうな態度と裏腹に問いかける声は妙に甘やかすような世話焼きのもので、まんざらでもないのだろう。
「だって、だってリボーン」
 ようやく泣き止んでも言いよどむツナを促すように、リボーンは正面から眼と眼をあわせている。それは見ている側からすれば心臓の裏側をくすぐられるような、けれどふたりのことをよく識っている者にはまったくかなしい光景だった。
「ああ、ねえリボーン、おまえのための部屋なら用意してある。ほしいものだってあげる、退屈しないようになんでもする」
 再びこぼれそうに大きな眼を涙に水没させながら畳み掛けるツナは必死だった。少年の腕に取り縋る姿はとうていドン・ボンゴレなんていう大層な人物には見えない幼さをはらんで、世界の裏にある様々の陰鬱で心を絡めとらんとする闇なんて識らない、平和に息をしているこどもそのものだった。
「おかえり、リボーン。もうここはずっとまえから、おまえの帰る場所だったじゃないか」
 懇願の響きにも似たツナの言葉を聞いて、リボーンははっと瞠目して押し黙った。そして瞑目して空を仰ぎ見たのち、観念したように、拗ねたこどもの声で唸った。「ただいま、ツナ」
 それらの会話がふたりにとってどんなに深い意味を持つのかを理解してしまったオレは無言のままで、しっかりと抱き合う彼らに背を向けて執務室を後にする。 背筋を這うようなつめたい殺気なんかではなく、あたたかい、しあわせのようなものに踵を翻させられて。
 ツナがリボーンに「おかえり」を言うのは、これがはじめてのことだった。
 それどころか、10年間も一緒にいてツナが自分のためだけに泣くのも、リボーンが本当の本当にうれしそうに笑うのも、これがはじめてのことだった。
「敵わねーなあ」
 声はだれもいない廊下の、毛の長いペルシア絨毯へと吸い込まれていく。いっそ清清しいくらいの敗北感だ。
 そうしてぼんやりと、リボーンをなんとなく疎ましく思いはじめ、彼を名前で呼ぶようになったきっかけの場面が頭のなかにいきなり滑り込んでくる。

 高校に入ってからはじめて部活がオフになったその日、中学でもそうしてきたようにツナと獄寺と三人連れ立ってツナの家に来ていた。
 玄関で待ち構えていた約三年の月日をその家で過ごしていた黒の赤ん坊は、すでにそう呼ぶには憚られる成長を見せていた。もうすぐに片手の指の数と同じ年になる彼が纏うのは、幼さののこる顔が不自然に思えるほどの存在感。
「リボーン、埃ついてる」
 ツナが服の埃を取ってやろうとした瞬間、彼はその手を叩き落とした。直後のツナの表情を今でもはっきり覚えている。傷ついた眼。泣きそうに噛みしめた唇。
「あ、オレ、ジュース持ってくから二人は部屋上がってて!」
 逃げだす速さで玄関へとかけていく背中を見送りながら、ふと浮かんだ疑問を口に出した。「小僧はオレにはさわらせるけど、ツナにはさわらせないのな」
 それは本当にちょっとした疑問だった。いつものようにかわされたって構わない、些細な瑣末なものだった。ただ、オレがそうしてやるときは何の抵抗もしないのに、ツナにだけはさわらせないその頑なさがどうしても気になったのだ。
「おい、野球バカ。てめえなんつー質問を……」
 獄寺が噛みつくのを遮るように、リボーンは帽子の下からオレを睨み上げた。呑まれた獄寺が黙ったのを見はからって彼は答えた。
「簡単にさわらせちまったら、アイツはオレをてめーらと同じように扱うだろーが」
 射抜く闇色の双眸にすこしだけ気おされながら、当時はただ、おおよそ完璧な彼は他と同じレベルで扱われることが屈辱なのだろうと思っていた。でも今ならちゃんと判る。彼はその頃から、ツナの「特別」であることを望んでいた。それと同じく、拒絶されてしまうことに心から傷ついていたツナも彼の「特別」になることを望んでいた。

 あんな遠いむかしからすれちがって、遠回りをしてやっとふたりは辿り着いたのか。そんな彼らをかなしい関係だと思っていた。心の底から互いを欲しているくせに、立場もプライドも邪魔をして口になんて出せやしない。それでもようやっと、辿り着いた。
 あの悔しげな顔からして相当なうっかりだったのだろう、電話口でツナが固まったのは彼の「今から帰るぞ」という一言にちがいなかった。 だからツナはあんなにも泣きじゃくって「ただいま」を言ったのだ。風よりも気ままで闇よりもつかみどころなく、最期まで独りきりを決め込んでいるようなリボーンの、唯一「特別」に帰る場所になれたことが、そんなにもうれしかったんだろう。
 お互いをただの一言だけでしあわせにできるのは、たったふたりだけの特権だ。オレや、他のだれかが一生かかったって手に入れることができない「特別」の証だ。
「敵わねー」
 もういちど呟いたら、喉の奥がきゅっとせまくなるようだった。情けない。やるせない。あとになったらきっと泣いてしまうから、せめてまだ微笑える今だけは、あのせつないふたりに祝福を。
「おめでとう」

いちばんのあいさつ

それは、ツナにとっての「ただいま」、リボーンにとっての「おかえり」、ふたりに対する「おめでとう」
2009/02/07