20年後 
 香港経由でイタリアへ行く途中だった。特に目的があったわけではない。5年間の結婚生活に終止符を打った瞬間に浮かんだのだ、「そうだ、イタリア行こう」。旅行会社かなにかから知らぬ間に毒されたのかもしれない。
 目的地がどうしてイタリアだったのか自分でもよくわからず、バックパックに必要最低限のものを詰めながら考えた。ただひとつ思い当たるのは、大学生の時一度だけ試みたヨーロッパ旅行だ。30万円で1ヶ月。語学はさっぱりだったが、そこは若さで乗り切ろうと本気で思い込んだ。イギリス、スペイン、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、オーストリア、スイス、そして最後のイタリアへ行く手前で金が底を尽き、泣く泣く断念した。 そうそう、それだ。帰りの飛行機の中で食べることができなかった様々の美味いもの、素晴らしいものに想いを馳せながら、機会があったらイタリア旅行へ行こうと心に誓ったのだった。
 30歳も過ぎた良い大人がバックパッカーの真似事なんて笑えるが、東洋人は幼く見られやすい。ギリギリ学生だと思ってもらえないだろうか。そういう気持ち込めて服装もラフなものを選んだ。まだまだ日本人も多い香港の空港ではさむい状態だとは知っていても。
 パスポート、財布、携帯、ボーディングパス、バゲージクレイム・タグ……とりあえず無いと困る貴重品を持ってきたか確認しながら待合室の椅子で伸びをする。出航まであと約6時間。
 6時間もあれば香港内をうろつくのにも十分時間がある。香港駅へは特急列車に乗れば30分で行ける。それでも入国審査や後々の搭乗手続きから出国審査までの手続きの煩わしさを思うと、空港内の免税店やコイン制マッサージ、無料インターネットなどで暇を潰すか迷う。そうしてとりとめもなく人混みを眺めていると、ふと見覚えのあるぼさぼさ頭がのろのろと目の前を横切った。
「おまえ、沢田?」
 名前がすぐ浮かんだことに自分でも驚く。呼びかけるとぼんやりした表情で振り向いた人物は予想とまったく違わなかった。それどころか、心のどこかずいぶんと遠いところに置いてきた記憶が映し出す姿にもぴったり重なる。
「え? あぁ……はい。そうですね」
 たったいま自分の名前を思い出したような顔で、やけにたどたどしい喋り方。
「すみません、どちら様でしたっけ」
 大きめな眼鏡の奥にある眦がすまなそうに下がった。ああ、いや、すこし老けたかもしれない。彼より目尻に刻まれた皺が彼の前を通り過ぎた年月を物語る。学年は上でも同じ歳である自分にだって同じだけの時間が流れているはずなのに、どこかの大学から飛び出してきたような風貌に混じるかすかな老齢さがアンバランスで、かえって老け込んだように感じられた。
 相変わらず亜麻色の髪は好き勝手跳ね上がっている。羽織っただけのジャケットから見える、カッターシャツから覗く鎖骨や首筋は頬と同じく骨ばって血色がわるい。ジャケットと揃いのグレーのスラックスはがぼがぼで、ベルトで留めていなければ重力にまかせて地面と仲良しになっているだろう。
「持田だよ。持田剣介」
 名乗りながら、わからないかもしれないと思って「ほら、並中でお前の先輩だっただろ」と付け足した。
 自分にとっては衝撃的だった出来事も相手はちっとも憶えていないなんてことはざらにある。友達に貸したCDが幻の存在になっていたり、恋人に問い質されても思い出せない謎の記念日があったり、信じてもいない神に誓った永遠が嘘になったり。人生はそういうものの繰り返しだと思う。言葉、想い、約束を幾度も交わし、互いに叶え、もしくはすれちがい、どちらの比が多いかで離れたり離れなかったり。だれかと生きるというのはきっとそういうことだ。
「ああ! お久しぶりです、先輩」
 意外にもあっさりと返ってきた返事に本当にわかっているんだろうかと思いながらも、適当に合わせているような素振りでもなかったのでなんとなく隣の椅子を勧める。沢田は「どうも」と頭を下げて座ると、銀色のスーツケースを足元へ置いた。旅行にしては荷物がすくない。
「荷物すくないな」
「これからジャッポーネに帰ろうと思いまして」聞き慣れない呼び方をしたものが、自分の故郷でもある日本のことだと気がつくのに少々時間がかかった。「大事なものはほとんどあっちに置いてきたんです」
「あっちって、お前どこ行って来たんだ?」
 なんとなく聞き覚えのある響きの正体をどうしても思い出すことができずに訊ねる。ドイツでもフランスでも、もちろん聞き慣れたイギリスでもない。
「イタリアです」
「そうか。俺も今からイタリアなんだ」
 これから向かう目的地に行ったことのある知人と出遇うとはついている。暇潰しは後回しにして、イタリアの話をいろいろと聞いてみることにしようと思った。
「なんか良い店とか場所とか知ってるか」
「オレはあんまりそういうのは知らないんです。仕事に追われてどうにも個人の時間が取れなくて。行ったとしても取引とかで使うような堅苦しい店しか」
「仕事?」
「ええ。高校卒業からあっちに行って最近までずっと。自営業、って言えるのかなあ、あれは」
 驚いた。てっきり旅行へ行って帰ってきたものだと思っていた。しかも外国に渡るような、ましてやそこでだれかの上に立つ仕事をするような性格にはとうてい見えなかった。
 けれど中学生時代を思い返してみると、たしかに人を集めまとめる才能はあったのかもしれない。不良な帰国子女、野球部のエース、校内一暑苦しいボクシング部部長、町内をも牛耳る風紀委員長……個性の強い問題児ばかりだったが、きちんと上手く束ねていた気もする。
 すっかりくたびれた雰囲気は、ずっと走り続けてきたあとだったからか。すこしの観光もできないほど忙殺されていたなんて、過労死大国の日本でもめったにありえない。
「でも正直オレには合わなくて……。だから息子に押しつけてとっとと隠居するんです」
 本当はオレの代で終わらせるつもりだったんですけど、という呟きから察するに、家業だったのだろうか。たしかに日本人にはなかなかない色を持っている人物だが、とてもイタリアの血が流れているようには思えない。そういえばあの帰国子女にも「十代目」だかなんだか呼ばれていた。あいつの名前は思い出せない。
「誰かとご一緒ですか」
「いや、一人だよ。傷心旅行ってやつ」
「それは……御愁傷様です」
「そんなにたいしたことじゃないけどな。離婚した気晴らしっつーか」
 本当に、傷ついているわけではない。互いに合意の上で、よくテレビで騒いでいるような面倒くさいごたごたもなかった。
 結婚当初はやたらハイテンションだった。大学で知り合った彼女と卒業後、勢いのまま結婚して、学生気分で生活した。やりたいことをやって、やりたくないことは押し付けあった。浮気もしたし夜遊びも。一度、派手に喧嘩したときに彼女が言った「実家に帰る!」という宣言があまりにもハマらなくて、互いに爆笑したほどだった。一緒に生活はしていても、『家族』になる努力はなにひとつしなかったのだ。
 離婚だってその生活がまったく意味を成さないというのに5年も経ってから気がついたからだ。後悔はしていないが、なんて茶番だったのだろうと今になって思う。
「沢田は?」
「連れと一緒です」
「奥さんか」
「いいえ。30の時に先立たれちゃいました」
 そっちのほうがよほど「御愁傷様」だと思いながらちらりと伺った顔は瞼が伏せられて、表情はよくわからなかった。四年前の話なら、葛藤はもう呑み込んだのか。それでも納得の上での別離とでは重さがちがう。かけるべき言葉は見当たらなかった。
「オレ、先輩にずっと謝りたいと思ってたんです」
 しっとりとした沈黙に水滴をひとつ落とすような呟きが聞こえた。おもわず横向くと、深い色の瞳と出逢った。歴史を閉じ込めて輝く琥珀のように、彼が経験したすべての過去がそのなかにある。
「中学の時、髪の毛ぜんぶ抜いてすみませんでした」
 ああ、憶えていたのか。もちろん忘れるわけがなかった。これまで生きてきてあんなに衝撃的な出来事は他になかった。校内一なにも出来ないことで有名なダメツナに自分が一番得意である剣道の勝負を持ち込んだのに、結果的に一本どころかすべての髪を毟り取られて負けたのだ。いま考えればありえない話。
 あの日は血が滲むわ痛みは酷いわで一日中眠れなかった。「俺の毛根はもう終わりだ」と嘆き悲しんだが、再び生えてきた髪を発見した日は人体の生命力に心底感謝した。
「正直あれは痛かった。死ぬかと思った。あれから散々だったしな。まあ、俺もそんな昔のことを根に持つほどもうガキじゃねえよ」
 ならばなぜ沢田の顔を覚えていたのか。あの日、勝手に交際を賭けた笹川京子の顔すら、めちゃくちゃかわいかったという印象はあるけれどまったく思い浮かばないのに。
「そう言ってもらえるとありがたいです」
 ほっとした顔でそう言う。ながいあいだの痞えが取れたように、表情がすこしやわらいだ気がした。それがなんとなくうれしい。
「オレもあれからいろいろ変りました。あの日がなかったら、オレはたぶんいま此処に居なかった」
 遠いいつかを懐かしむ声。後悔しているようにも、愛おしんでいるようにも聞こえる。近くにいるのに遠い、そういう感覚を初めて識った。
「別れが多かったけれど、いい人生でした」
 口を開こうとして、やめた。「おまえ、いましあわせか?」なんて、無粋にもほどがあるだろう。彼がいま抱えているものはきっと、単純に言葉にできてしまうようなものではない。
 そんな躊躇いが顔に出てしまったらしい。苦笑した沢田は「そうだ」と閃いてスーツケースを開く。底のほうから取り出したのは、角が取れてぼろぼろになり、色褪せた大学ノートだった。
「オレがイタリア語習い始めた頃使ってたノートです。よかったら使ってください」
 パラパラとページを捲ると、綴りと読み方、意味がずらっと前倣えしている。『ciao;チャオ:やあ、こんにちは、じゃあまた、さよなら』、『buongiorno;ブオンジョルノ:おはようございます、こんにちは、さようなら、良い一日を』、『arrideverci;アリデヴェルチ:さようなら、ではまた、また会いましょう』……挨拶から始まり、慣用句やらイディオムやらが最後の一行まできっちり行儀よく並んでいた。
「イタリアじゃあんまり英語も通じないですし」
 よくよく見ると、潰れて残念な顔になっている日本語に比べてアルファベットはものすごく美人だった。ちょっと癖があるけれど流れるような筆記体。
「日本語より上手いんじゃねえの?」
「そうですねえ。教えてくれた人がめちゃくちゃスパルタなもんで」
 くしゃっと笑った顔がびっくりするくらい幼かった。背の高い二人に挟まれて笑っていた中学生の顔だった。つられるように俺も笑って、気づく。無理のない笑顔は久しぶりだと。昔はこんなやつにどうしてあんな凄いやつらが集まるんだか、と不思議だったけれどこういうところに惹かれたのかもしれない。
 心の底から笑うとき、人は童心に返るのかもしれない。ひたすらにたのしかった時間に戻るのかもしれない。帰りたい場所を求めて。沢田もそうであったならいい。
「イタリアはとてもいいところです。みんなが生きることをたのしんでいるし、建物の隅々にまで命があるみたいで。絶対気に入りますよ」
 しみじみと独りごちる沢田は、本当にイタリアという国が好きなのだと聞いていてわかる。なんてせつない声で言うのだろう。こっちのほうが泣きたくなってくる。
 抑えようのない何かが涙腺に訴える頃、日本行きの便のアナウンスが流れ、沢田がきょろきょろと辺りを見渡した。
「ああ、連れが来ました。そろそろ行きます」
「おう」
 視線の先を見て誰がその連れなのか一瞬で判る。壁に寄り掛かっていてなお、他の人々より頭ひとつ抜け出している。細身のスーツにソフト帽を頭に乗せ、全身黒尽くめ。顔はよく見えないが、通り過ぎる女性が皆振り返って頬を染めているのを見ると整っているのは確かだ。まさしくイタリア人の風采。
「あれがお前のガキ?」
 それにしてはあまりにも似ていないのを承知で訊ねれば、沢田はただ曖昧に微笑うだけだった。それは壊れ物へふれるようにたいせつなものを慈しむ微笑みで、なんだかそれ以上訊いてはいけない気がした。
「オレが唯一連れてきた大事なものです」
 雑踏に紛れ、立ち上がった瞬間にそう聞こえた気がしたけれど、もしかしたら幻聴だった。
「Arrivederci」
 予想どおり耳に心地良いくらいに滑らかな発音。そしてとんでもなくやさしい。俺を見透かして、はるか遠くを夢見るような目で言った挨拶。それはきっと、イタリアに置いてきたという計り知れないほどのたいせつなものたちへも捧げた最後の別れ。
 むせ返るような人の波にさらわれることなくまっすぐ歩いていく背中を見送りながら思う、あの言葉はやっぱり言わなくてもよかった。別れの挨拶をあんなにやさしく言えるのならば、しあわせにちがいない。
 華奢な背中が黒い影と並んで人混みのなかに消えていく。寄り添ったふたつの影は、たぶん血の繋がりより強いなにかで結ばれている。

トランジット

09/04/26
人生の乗り換え地点


Hommage : TRANSIT / Ogawa Yoko