ノックもなしに扉が開く。それはいつの間にやらこの屋敷の常識になってしまったらしく、十年経っても忠実な右腕以外はガチャリとノブを回すのが挨拶代わりだと思い込んでいるらしい。 慣れ始めているとはいうものの、たまに元家庭教師のヒットマンが抜き打ちで仕事のチェックに来るもんだからたまったもんじゃない。フリーに戻ったくせに、どうしてあいつは未だに先生気取りなのだろう。 「お仕置き」なんてものは師弟間だからこそ成り立つものじゃないのか。口に出したら頭に9mmの穴が空くので言わないけれど。
「お疲れ様です」
「そういうのは疲れるくらい手応えのある仕事回してから言いなよ」
 労いの言葉に心底馬鹿にしたような声で返した雲雀は、手にしていた数枚の書類を机に放り投げる。どうやら機嫌がすこぶる悪い。他の者にはとんでもなく骨の折れる仕事であるはずなのに、雲雀にはまるでつまらなかったのだろう。
「すみません」
 素直に謝罪すると、雲雀は仕方なさそうに笑った。不覚にもその仕種にどきっとしてしまう自分を綱吉は叱咤して、日本人お得意の愛想笑いを返した。
 最近になって雲雀はなんだか大人びた気がする。むかしと変わらず奔放で我が侭な部分はもちろん多いけれど、ごくたまに、ちょっとした対応がやさしいときがあるのだ。
「そういえば雲雀さん、このあいだ誕生日でしたよね」
 ごまかすように話題にだして、しまったと思う。このあいだというのは、つまり件の仕事を頼んだ日である。3日も前の話だ。故郷では「こどもの日」と呼ばれる祭日。あまりにも似合わないので、記念日系を憶えているのが苦手な綱吉の脳みそにもその日は鮮やかにインプットされてある。
「ああ、そうみたいだね」
 机上にある卓上カレンダーを一瞥した雲雀は他人事のように応えた。実際、彼にとって誕生日などは取るに足らないものであろう。年を取ることを憂うのは、自分の容姿が精彩を失い力が衰えるのを恐れる者だけだ。雲雀はそのどちらにも当てはまらない。 それどころか年を取るごとに鋭さのなかに艶が混じり、経験が増えたことで荒削りな強さも精練されて技巧に一層華が出てきた。
「草壁や風紀財団の奴らが宴会かなんかを勝手に開いてたけど」
「……ちなみに参加は」
「すると思ってるの」
 思うわけがない。一応ポーズとして訊いてみただけだ。やはり祝宴パーティを開かなかったのは正解だったらしい。その場の部下全員を生贄として捧げるほど綱吉は腐っていない。その代わりにと言っては何だが、最近日本にちょっかいをかけ過ぎている中国マフィアにちょっくら水をぶっかけに行ってもらったのだ。それだけで済まないのは承知の上。
 個のマフィアがどうというよりも、ここ数年の急激な経済成長に便乗して日本を丸呑みしてやろうと国単位で舌なめずりしているのが鼻につく。中国と日本の因縁はボンゴレの歴史よりも長く、中国マフィアのトップのほとんどが共産党のお偉方さんだから理に適ってるっちゃ適ってる。だからといって仕方ないとすっぱり割り切れるわけではない。 この椅子からちゃっちゃと飛び降りてひっそりこっそり暮らす計画のために、いとしの故郷には世界一治安の良いままでいてもらわなくては。
「プレゼントはお気に召さなかったみたいですし、お祝い言うのも遅れちゃったのでなにかひとつ欲しいものを言ってください」 自分で言っていて小狡いやり方だと思った。雲雀がよろこぶようなものを選ぶセンスも時間もないのをごまかしたいだけだ。だってせっかく贈るのならば笑顔が見たい。雲雀が笑顔になること自体めったにないのはわかっていても。 「あ、あんまり酷いのはだめですよ。あくまでオレがプレゼントできる範囲でお願いします」
 冗談めかして付け加えても雲雀はすぐに答えなかった。代わりに意地悪くにやりと口の端を上げただけ。こういう笑い方は心臓に悪い。某家庭教師だの某暗殺部隊のボスだの、顔が良いとなおさらだ。
「ていうか、オレなんかに祝われてもうれしくないですよね」
 長すぎる沈黙に耐えかね、慌てて口走る。二人きりで長時間向き合うにはまだ距離が掴みきれていない。本物の雲のようにさすらう雲雀の気分は些細なことで雨や嵐へと変わる。
「君はいいよ。小動物だから」
「オレはちゃんと人間ですよ」
 意識的にすこし棘のある言い方をする。誰だって動物扱いされるのは嫌だろう。しかもそれが、好きな相手なら余計に。 たしかに雲雀はヒバードやバリネズミなどその他ちいさくて可愛い動物にはやさしい傾向があるけれど、そんなものが欲しいんじゃない。庇護や慈愛で包まれるより、痛い目見たって隣にいたい。
「そうだね」
 綱吉の不機嫌を覚ったのか、雲雀は不敵に笑った。こんなにも綱吉がやきもきしてるのに、いつだって余裕なのが悔しい。もしかしたら雲雀は本当に、綱吉を小動物を相手にしているように思っているのかもしれない。 それが本当だとしたらせつなくてたまらない。そのポジションを拒んだら、きっともう見向きもしてもらえないからだ。雲は固執することはない。
 うつむいた先に細長くきれいな指が見える。それがゆっくりと動くのをスローモーションのように眺めていると、気づいたときには仰向かされていた。
 卑怯だ。とんでもなく情けない顔になっているのをわかっていても逸らせない。痛みはないが思いのほかしっかりと顎を捉えられている。
 整った顔が近づいて、息さえもふれる距離。思わず瞑った瞼の上にかるいキスがふる。
「それじゃあ君は僕が愛した最初で最後の人間だ」
 頬が熱い。どうしよう、どうすれば。目も開けられないまま、雲雀が机の上に乗り上げたのがわかった。両脇を支えて持ち上げられてぎょっとする。目線の先でさっきの意地悪い笑顔にかちあった。
「ほしいもの、くれるんだろ」
 膝上に乗せられて、耳元でそんなことを囁かれたら陥落するほかはない。うなずくのが精一杯の首筋を甘噛みされる。追いつめようとおもったら、逆に追いつめられてしまった。
 雲雀が恋愛に関しては迷い羊と嘲笑ったのはいったいどこのどいつだ。普段猫をかぶってるぶん、よっぽど性質の悪い狼じゃないか。

狼は猫かぶり

09/05/08


05/05 : ひばりさん誕生日おめでとう!