「そうそうあったよねえそんなの! あははは!」
 話しているうちに緊張が解れたのか、はたまた酔いが回ったのか、とにかく沢田はやたらテンションがハイだった。
「あー、なんか、酔ったあ」
 ……後者だったらしい。確かに白い肌に赤みが差しているし、目が潤んでいる。グラス半分のチューハイに酔ったくれた沢田を見て言わんこっちゃないと頭を押さえて(いつつも目元が綻んで)いる山本と獄寺は、日本酒をそれぞれ一本空けてもけろりとしている。
「大丈夫ですか」
「ん、ちょっと暑い、かも?」言いながらタイを緩め、長めの髪を左耳にかける動作はそこはかとなく、ヤバい。そういう趣味がない人間も釣れてしまいそうな無防備な危なっかしさがある。いやいや、別にオレが釣られたわけじゃ……、と自分に弁解する虚しさ。
「辛かったら言えよ? 布団貸すから寝てもいーし」
「だいじょーぶ、だよー、うん」
 大丈夫じゃないだろ。と心の中でつっこんだのはオレだけじゃないはずだ。確実にぶっ飛んでる。
「沢田、マジで大丈夫か?」
 こっそりと耳打ちすると、山本は苦笑しながら「ちょっと危ねーかも。最近ムリしてたしな」と気遣うような口調で言った。「ま、ぶっ倒れたら運ぶし、まだここに居たいみたいだからギリギリまで、な」
 その声がびっくりするほど甘かったもんだから、うっかり胸が焼けそうになった。アルコールのせいじゃなく顔が熱くなる。
 沢田の周りに居るやつらは、こういうセリフをさらっと素面で言ってしまうから、聞いている方が居堪れなくなってしまうのだ。ハイハイごちそーさまデース、とすら言えずにまともにダメージをくらう。なんたる理不尽。それなのに言われている本人はまったく意にも介さないのでなおさらだ。
 さすがはあのストイックな恐怖の風紀委員長に「君を守るのは僕の役目だって言ったじゃない」と言わしめただけはある。
 あの時はたしか黒曜中の変な髪型をした男に絡まれていたんだったか。顔の印象はずいぶん端正だというくらいしか残っていないが、あの髪型だけは忘れられない。某南国果実のような前衛的な造型。どうやったらあんな風になるんだ。
「てめーに十代目を任せられっか! オレが責任持って送り届けて差し上げるからすっ込んでろ」
「そっちのが危ないのなー。獄寺、忍耐力ねえもん」
 意識が朧気な状態の沢田を挟んで口論が始まる。こういうところも昔と変わっていない。懐かしく思うと同時、やりきれない想いが込み上げる。喉のあたりが痒い。
「んだと? てめーに言われたかねえ! この前十代目が眠っていらっしゃる時何してやがったか言ってみろ!」
「別に大したことしてねーよ? つーか獄寺だって」
「隼人、武、黙れ」
 それはまさに鶴の一声。発したのは、口を開いたまま固まっている二人の真ん中に座っている沢田に間違いない。それより今、名前で呼びませんでした?
「じゅ、じゅうだいめ?」
「ツナ……?」
「これ以上騒ぐなら叩き出す」
 どこからか液体がゴフッと吹き出る音がした。誰かが酒を吹いたのだろう、咳き込む音が聞こえる。アルコールだからきっと鼻痛いだろーなァとかそれより山本と獄寺は沢田に何やったんだとか、やりとりを間近に聞いているオレは、そうやって現実逃避していた。
 思い切ってそっと沢田を覗くと、眼が据わっていらっしゃる。酔っ払った雰囲気も完璧霧散。これは、マジ切れってやつか。そうなのか。
「スミマセン」
「あは、は……ごめんなーツナ」
 一気に鎮火した舌戦に「わかればいい」と言い捨てた沢田は残りのチューハイを一気に煽る。それに気づいた獄寺が酌をしようとするのを留めて微笑んだ。「今日はプライベートだ。隼人にそんな真似はさせたくない」
(うおおおお、男前えええ! ていうかさっきとキャラ変わってるぞ沢田あああ!)
 もうなんだか、叫べない代わりに大量の汗が吹き出てしまう。「渋いッス」とか感涙しているバカがいるが、これはもう渋いとかより、怖い。誰だこの人!
 けれどもオレはなんとなく、沢田がクセのある人物にやたら好かれる理由がわかった気がした。アメとムチの使い方が上手すぎる。ツンデレが絶妙のタイミングでデレになるような、そんな感じの駆け引きの仕方が……ってあれオレ何言ってんだ。酔ってんのか。
 すかさず「無礼講ってことか?」、訊ねる山本に、「そうだ」と返る。それを聞いて、山本は沢田の突然変異に慣れているのだと察した。
 思い返せば、確かに沢田は中学の時も唐突に豹変する時があった。なぜかパンツ一枚で。その時から仲のよかった彼らなので、まあ10年も一緒に居りゃ慣れるよな、と考えた瞬間。
「武?」
「んー? 無礼講なんだろ。オレもなんか、酔ったみてえ」
 そう言って、山本は甘えたネコのように沢田の首筋あたりに顔を埋めていた。
 これが中学生だったらまだ、単純にじゃれあっているのだと自分に言い聞かせることができた。けれどもうオレらは働いているのが普通の年齢で、その上、山本は絶対に酔っていない。今どういう状況なのかこいつらわかってんだろうか。いや、山本は確実にわかった上でやっている。それだけにタチが悪い。
 そっとカウンターを見るが、親父さんは宣言通り明日の朝市のために引っ込んだようだった。山本武、抜かりなし。
「ツナ、部屋行くの手伝って」
 しかし当然、囁くような山本の言葉を獄寺が許すわけがなかった。
「十代目から離れやがれ! 果たすぞてめえ!!」
「なんだよ獄寺。邪魔すんなよなー。せっかく小僧もいねーのに」
 舌戦どころか殴り合いにすらなりそうな一触即発の状況をぶち破ったのは、しかし鶴の一声ではなかった。
 ガラガラピシャン! との擬音がつきそうなほど勢いよく開け放たれた戸口から姿を現したのは、これまたいかにも悪っそーな強面二人組。着崩したスーツに趣味の悪いアクセサリー、ところどころに傷のある顔。地元を締めるヤのつく自由業、桃巨会の方々だ。しかし下っ端。
 桃巨会は10年ほど前に何者かによって壊滅状態になったが、数年後には残党が集い始め、現在ではもう昔の勢力を取り戻している。
 そして職業柄、色々と繋がりもあったりする。もちろんマトモなお付き合いなわけがなく、あるいは担保とする場合もあるが、ワケありの品物を流す代わり口止め料としてこちらからの金は出さないという暗黙のルール。リスクはかなりあるものの睨まれちゃしょうがない。しがない商店街の一店舗なんか一捻りだ。
「ウルセェなァ」
「営業時間とっくに過ぎてンだろが、あァ!?」
 やたらと耳障りな声に水を打ったような沈黙が訪れる。皆が皆、テーブルに視線を落としてどうにかやり過ごそうとしているが、一部では泣き出す女子もいた。もうなんつーかホント、空気読んでくれ。
 そこでやっぱりというか、目についたらしいのは壁の花ならぬカウンターの華。なんてったってこの状況で独り冷静に本日2杯目の熱燗を飲んでいらっしゃる勇者様、沢田綱吉(別人みたい)だった。
「なんだテメェ、すかしたツラしやがって」
 一人がその肩に手をかけようとした瞬間、獄寺と山本はすぐさまその手を払って捻り上げた。確かに昔から鬼強な二人ではあるが、ちょっとそれはやべーんじゃねーのという空気が流れる。あちらさんは本場も本場、しかも武闘派と名高い。いくらなんでも……と思っていた矢先、予想を裏切る光景を見た。
 立ち上がった沢田が視線ひとつで獄寺と山本に手を外させ「表に出ろ」と告げると、一瞬にして強面二人の顔から血の気が失せた。背を向けているため、こちらから沢田の表情は窺えない。それでもわかる。明らかに格がちがう。
 そのまま押し出されるようにして外へ出ていった二人の後へ続いた沢田を見送った山本はニカッと笑った。「わりーわりー。なんか興ざめしちまったな! 飲みなおそうぜ」
 そこですかさず左隣の能天気が「だな! じゃーまた挨拶から!」なんて言えば、「要らねーよ」「お前の挨拶やたら長ぇし!」などの茶々が入り、冷えきった空気は温度を取り戻す。泣き出した女子も笹川と黒川に宥められて落ち着きを取り戻したようだった。
 先程の様子を見ても不安はないが、一応小声で訊ねた。「沢田は……?」
 すると意味深な笑顔で「ツナは俺らよりよっぽど強ぇよ」と返されて思わず苦笑する。そりゃそうか、そうだよな、って。だってオレは覚えてる。このいかにも楽天的なかつての野球部エースが屋上から飛び降りようとしたとき、それを止めたのが沢田だったこと。その隣にいる不良が教師と衝突しそうになるたび、普段は双方に怯えているくせに必死で止めていたこと。沢田は中学の時から、誰かを守るためなら誰より強かった。
 皆の意識が再びアルコールに沈みかけた頃、静かに開けられた戸口から白スーツが現れてカウンター組はほっと息をついた。アルコールマジックにかかった周囲は気にもかけない。もしかするとそれを見計らって来たのだろうかと余計な詮索をついしてしまう。
 アルコールよりもタチの悪い中毒になりかかっているのを、いまさらながら自覚する。けれど気づいた時にはもう遅い。このぬるま湯のような心地好さを知ってしまったら、きっと抜け出すのは不可能なんだろう。沢田の周りにいる彼らみたいに。
 すたすたと席に戻ってきた沢田は、「騒いですまなかった」と謝ると、突然カウンターに突っ伏した。オレらの驚きをよそに、沢田は高校生でも通じる童顔をさらに幼くさせて、――眠っていた。
「あー、電池切れたか」
「お疲れ様ッス十代目……!」
 ちょっと困ったように笑う山本と、とめどない感涙を拭う獄寺の真ん中、まるで中学生のような寝顔を見、オレはなんだか胸のあたりにあたたかいものが拡がっていくのを感じた。安堵のようなすこしさみしいような、これはきっと懐かしさというもの。
 中学卒業後の旅行からこっち、一時も地元を離れたことはないが、帰ってくるってこういうものなんだとわかった。心が在るべき場所に帰ってきたような安定感。オレはなぜだか泣きたくなってしまう。
 たとえ沢田たちの仕事が真っ当じゃなくたって、彼らのあいだにある変わらない信頼の前ではそんなのは大層ちっぽけに思えた。

 すっかり酔い潰れた同級生たちを見送った解散の時には、既に日付を跨いでいた。眠りこけた沢田は山本に所謂お姫さま抱っこで連れていかれた。後ろでは獄寺が鬼の形相で目を光らせていたので特に問題もなく安らかな睡眠を得られたようだ。三々五々帰ってゆく人影もまばらになった頃起き出してきた沢田の髪は見事にあちこち跳ね回り、シワにならないように一度脱いだのだろうスーツを引っ掛けただけの姿はものすごい既視感を与えた。遅刻してきた朝は大抵こんな感じだった。
 すっかりアルコールも抜けたらしく「もったいねえええ! せっかく、京子ちゃんと、話せるチャンスだったのにいいい……!」と涙ながらに身悶えていた。彼が笹川を好きなのは昔から周知の事実である。
 そうやって暫くグスグスやっていたと思えば、「あ! しかも財布忘れた!」と頭を抱える。忙しい奴だ。
「オレがお支払いします!」
「いや、こーゆーのは個人で払いたいんだよ……」
 そう言った沢田はなにか閃いた表情をすると腕時計を外し、オレに差し出して告げた。「これ、担保にしてくれないかな?」
 オレ的にはまったく構わないので受け取る。なんたってジラール・ペルゴだ。会費を引いてもよっぽど余る。
「今日はホントありがとう。次も楽しみにしてるね」
 そう言って帰っていくちっとも変わらない三人を見送り、台風一過の夜が更ける。そしてオレは次の再会に思いを巡らす。
 まさかその三日後に沢田が時計取り戻しに来るとは思いもよらずに。

「……思ったより随分早かったな」
「もらった奴にすんげー怒られて、今すぐ取り戻して来いって、さ」
「気ィ強い彼女だな」
「……『彼女』ではないんだけど」
「なに? 一方的に言い寄られてんの?」
「そんな感じ、かな。はは……」





10年後同窓会

2009/09/05
ツナはお酒に弱くて大抵は寝ちゃうけど、悪酔いするとハイパーモードになるといいなっていう妄想