マイアミの夜が明け、目を覚ました綱吉は、異常な身体のだるさと喉やあらぬ所の痛みに昨夜の自分を思い出し、枕に顔を押しつけて掠れた声でうわあああと叫んだ。
(よりによって、なんでこんな……!)
 昨晩の羞恥プレイを思い返せば死んだほうがマシだったと思うほかない。涙まで枯れたのか泣くにも泣けず、どうにもならない気持ちを持て余していると、「起きたのか」と上機嫌な声が聞こえて起き上がる。
「な、ななな、」
「ルームサービス持ってきてやったぞ」
「なん、な、」
「あ?」
「なんてことしてくれたんだ!」
 声まで掠れて聞けたもんじゃない。そうはいっても、叫べもせず泣けもしないなら、元凶に向かって怒るのみ。羞恥心なんて今は宇宙の隅っこに吹っ飛ばしてひたすら詰るしかこの腹底で煮えたぎる激情は収まらない。
 しかしながら、そんな綱吉の怒りなんぞリボーンはまったく意に介さないどころか、むしろ愉快でたまらないというように、「『もっと』だの『やめないで』だの散々ねだってたヤツのセリフじゃねーな」と言った。
 それを引き金に断片的な言葉攻めの数々がリフレインする。そして自分が確かにそう口にしたという記憶も。
 鮮明な記憶に綱吉は今度こそシーツの海に沈んだ。
 何がいちばんむかつくって、なんだかものすごく気持ちよかったことが癪なのだ。あんなにも強引に押さえ込んだ割に、女にやるようにそりゃもうじっくり丁寧に快感を引きずりだされて、ただでさえ快楽に弱い綱吉は流されずにいられなかった。
「オレンジジュース飲むか?」
「……のむ」
 昨晩ではっきり自覚した順応性がまた自然に発動されたことにすら気づかずに、グラス半分に注がれたオレンジジュースを受け取る。
 ビタミンが痛む喉にひりひりと染みるのと同時、水分が脱け出した体に染みわたり、アルコールを突っ込んだだけで昨晩は食べ物を入れてない胃が食料を求めて動き出した。
 のそのそ起き上がって下着を履いてよれよれのシャツをひっかけ、ルームサービスのフレンチトーストやらハムエッグやらサラダやらが置かれたテーブルにつくと、リボーンが神妙な顔つきをしているのに気がついて「なんだよ」とぶっきらぼうに呟く。
「お前……」眉根を寄せてさらに深刻な顔を作り上げたリボーンは、「ホントに初めてか?」などとのたまった。
 ついに堪忍袋の緒がぷっつんした綱吉はおもわず本気で、掴んでいたフォークをリボーンの顔めがけて投げつけた。しかし相手も手練れのヒットマンだ。いとも容易に避けられてしまった。
「ばっっっかじゃねえええの!」
 真っ赤になって罵倒する綱吉をまるで無視したリボーンは「じゃあ単に相性がいいんだな」、にやりと笑った。
 ――――アホだ。こいつ真性のアホだ。
 爆弾物にひとしいリボーンの発言に項垂れた綱吉は、そうしてすっかり怒る気力まで萎えてしまったのだった。

 その後のリボーンの行動は異様な素早さと強引さに満ち溢れていた。ニューヨークの郊外にある一軒家を買い取ってむりやり連れ込んだかと思えば、半ば強制的に同棲を宣言した。
 初めのうちは脱出に失敗してはトラップに引っかかり、そのたびに『お仕置き』をされ、綱吉はだんだん、「無謀なことをしない」という賢さを得た。落ち着いてみると3食プロ並のメシはあるし、鬼畜だけどたまにやさしいし、洗濯物溜め込んでおくと一緒に洗濯してくれるし、悔しいことに本当に相性がいいらしいし、はっきり言ってめちゃくちゃ充実していた。
 そうやって安楽に鎮座してしまうと、これはこれで意外にも良い生活なんじゃないかと思い始め、なんだかんだで五年が過ぎた。

(おれたち、うまくやってきたよな?)
 どこをどう間違った、とは言えない。最初の時点で踏み外していたのだから。敵対することの多い殺し屋と運び屋が一緒に暮らすなんてそもそもありえないことなのだ。『正体がバレたら2日以内に抹殺』が掟のこの世界で。
 ボンゴレにリボーンとの同棲がバレたのは昨日。だからタイムリミットは今日が終わるまでのあと数時間しかない。しかし五年前と同じように、綱吉にリボーンを殺すという選択肢はなかった。だから死ぬしかない。そして、どうせ死ぬのなら、リボーンに殺してもらいたかった。
(だからさよなら、だ)
「お前とは別れる。やっぱおかしいんだよこんなの。ボンゴレに情報売っちまう前に始末したほうがいいんじゃないの」
 壁の向こう側に自嘲気味な声を投げつける。実際、なにもかもどうでもよくなっていた。順応性も高いが、諦めることに関してはもっと早かった。
 そんな綱吉は気がつかなかった。壁の向こうにいたはずのリボーンが、すぐ横に立っていたことに。
「言いたいことはそれだけか」
 左から聞こえた声に綱吉ははっとして振り向き、お手上げのポーズをした。むかし仕事で爆発に巻き込まれた時から、左目の視力はほとんどなくなっていた。だから足跡も気配も完璧に殺せるリボーンが近づくのなんて容易だった。
「それだけだよ」
 リボーンは「そうか」とふっと笑って近づき、綱吉のこめかみにまだじんわりと熱い銃を当てて「『愛してる、ダーリン』とか言わねーのか?」と言った。
 冗談なのか皮肉なのか判断がつけがたくて戸惑う綱吉の頭を空いた手で抱え込んだリボーンは、「オレは殺したいくらい愛してるぞ、ツナ」とつむじにキスを落とした。
 とんでもないくらいやさしい声に、綱吉はなんだか無性に泣きたくなった。が、続くリボーンのセリフに驚いて涙はついに出なかった。
「でも今はその時じゃねえ」
 綱吉はこめかみからそっと銃を離したリボーンをまじまじと見つめて「は?」と訊き返した。
「どうせボンゴレに命令されたんだろ、バカツナが」
「え? う、うん……ってなんでわかったんだよ!」
「五年も一緒にいるんだぞ? お前のことでわからねーことはねえ」
 頭を撫でられながら告げられた言葉に、綱吉はうっかりときめく一方で、罪悪感を募らせた。
 五年も一緒にいたのだ。その時間のすべてを通してリボーンが本当はやさしいひとだと知っているのに、仕事以外で人殺しをさせようとしてしまった。
「リボーン、ごめんな」
 綱吉が謝るとリボーンは肩を竦めた。出会った日から、言葉の足りない綱吉の言いたいことをリボーンがわからない時なんてなかった。この五年のあいだずっと。
 そうして綱吉がしんみりリボーンと過ごしてきた日々を懐かしんでいると、リボーンは「つーかオレらのことなんて最初っからバレてんだろーが」と小バカにした声で綱吉を小突いた。
 綱吉はリボーンが何を言ったのか飲み込めず、ぽかあんとリボーンを見つめた。
 リボーンは舌打ちして「しょっちゅう発信器やら盗聴器やらつけて帰ってきやがって」と言いながら、綱吉のスーツの襟元をべらっとめくって豆粒ほどの大きさした機械を目の前にちらつかせた。それを見て真っ青になった綱吉は、許容範囲ぶっちぎりの驚きでものも言えなくて、リボーンがその盗聴器らしきものに向かって「残念だったな、XANXAS。ツナを騙して別れさせようとしてもムダだぞ。いくらこいつが救いようのないくらいバカでも俺が天才だからな」と言って踏み潰すその過程をただただ見守っていた。
「は? え、なに? え? お前ら知り合い?」
 仕事の話はお互いタブーだったので、綱吉はリボーンにXANXASの話をしたことなんてない。だからリボーンの口から飛び出してきた従兄弟様の名前に飛び上がらんばかりに驚いた。
「ボンゴレは俺の贔屓だぞ」
「じゃあなんであいつ今さらこんなこと!」
 同棲を知っていたのならその時点で『命令』を下すべきだ。リボーンがいくら優秀で贔屓のヒットマンだったとしても、リボーンがフリーである以上はXANXASだって標的になる可能性があるのだから、情報が漏れるかもしれないソースは潰しておくのが筋だ。
「お前XANXASに最後に会ったとき何て言われた」
「お前を殺すか俺がボンゴレに骨埋めるか選べって」
「……その会話の前は」
「これからはボンゴレの屋敷に一生住めって言われて、同棲してるヤツがうるさいからムリって答えた」
「お前……」
 心底呆れたため息を腹から吐き出したリボーンは、めったになくがっくりと項垂れた。状況がまるで把握できていない綱吉は「なんだよ」とふてくされるが、リボーンはあまりのアホらしさに答えることもできなかった。
 あんなにプライドの高い男の一生一代のプロポーズをすげなく断っておいて、まったく自覚がない。これ以上ひどい話があるだろうか。XANXASはものすごくいけ好かない男ではあるが、さすがのリボーンも同情を禁じえなかった。
「ってことは、XANXASのお遊びだったのか?」
 言うに事欠いて――と思いながらも、リボーンは頷いてやった。面倒事は少ないほうが好ましく、XANXASにわざわざ塩を送ってやる気もない。
「XANXASも俺と同じくらいお前を殺したがってるってことだ」
 塩など送ってやらなくても、このセリフでピンとこない綱吉には何を言ってもムダであるが。



最後に微笑えるひとだけが勝ち

2010/02/25