PROLOGUE
滅亡への一歩
「俺は悪くねぇっ! 俺は悪くねぇっ! 俺は……」
何もかもが一瞬のように思えた。
アクゼリュスで師匠に会って、超振動を使って、それから――それからアクゼリュスが魔界に落ちて……。
だけど障気を中和するために超振動を使ったんだ。師匠が俺の超振動ならできるって言うから――。
「冗談じゃねぇっ! レプリカってのは脳みそまで劣化しているのか!?」
レプリカ。アッシュの言ったその一言が、ヴァンの放った言葉を思い起こさせる。
『愚かなレプリカルーク』
冷たい声。冷たい眼。思い出すだけで、先程ティアたちに向けられたものよりも格段に胸が締め付けられた。
何より告げられたその言葉の冷酷さに、今でも戦慄がはしる。
「教えてやるよ。『ルーク』」
まるで自嘲するような口調だと思った。ティアがアッシュを鋭い声音で制止するが、やめる気は無いらしい。
ともすれば震えそうになる身体を、必死で抑える。
眼前に突きつけられた剣のせいではない。自分を見下しているその眼が明らかな蔑みや怒り、憎しみというあらゆる負の感情をともしていたからではない。
嫌な予感が、全身を駆け巡った。
「俺はバチカル生まれの貴族なんだ。七年前にヴァンて悪党に誘拐されたんだよ」
まさか、と思った途端、震えを伴い声にしていた。
だが否定するにはあまりにも分が悪すぎる。
自分と同じ顔。同じ背丈。向き合えばまるで鏡のようだと、思い出すたび、目の前にするたび否定する反面強く思っていた。
口がからからに渇いている。呼吸が上手くできずに浅い息を繰り返す。
「そうだよ! おまえは俺の劣化複写人間だ。ただのレプリカなんだよ!」
頭の中が真っ白になって、思考が止まる。理解する事を拒否する。
「う…嘘だ…! 嘘だ嘘だ嘘だっ!」
口をついて出るのはただ否定の言葉だけ。何度も連呼する。
ここで認めてしまうわけにはいかない。
俺は一人の人間で、『複製品』なんかじゃない。レプリカなんかじゃ、ない。
その後の記憶はフィルターがかかったように酷く曖昧だ。
アッシュと闘ったあと、再び意識が戻った時アッシュに繋がった回線から皆の態度を見て、絶望の淵に立たされたような気分になった事だけが強く残った。
皆自分を見捨てて、外郭大地へと戻っていった。
誰も何も話してくれないまま、ただ理不尽に突きつけられた事実に一人向き合えと言われたようだった。
師匠……師匠だけだ。こんな時俺の話を聴いて、理解して、優しくしてくれるのは師匠だけなのに。
その唯一の理解者さえ、いや、唯一の理解者こそが自分を裏切っていただなんて……。
不意にアッシュとの回線が切れて、意識が自分の身体へと戻っていくのが解った。
開けた視界が映し出したのは、見慣れない部屋。譜術に関する書物が詰まった書架が並んでいるだけで、あとは机と、椅子が数個おいてある他に何も無い質素な部屋だ。
「――目が覚めたか?」
聴こえたのは、耳慣れたあたたかな声。
今までいちばん自分が頼りにしてきた声なのに、今では恐怖すら覚える。
『愚かなレプリカルーク』
あの言葉が、声が、視線がまた蘇る。少し前まで見ていたアッシュの顔よりも鮮明に。
「せんせ、い?」
できるだけ平静を装おうとしたのに、耳に届いた自分の声は明らかに警戒した声だった。
半分だけ起こしていた身も、今ではいつでもすぐ反応できるよう身構えていた。
「どこか痛むところはないか? 治療はしてあるみたいだが、アッシュと闘ったのだろう?」
やわらかな笑顔で気遣う様子は、いつもの師匠だ。いつもの、優しい師匠。
俺を認めてくれて、知らないことを教えてくれる。棘のある言葉で自分を責め立てたりしない。
師匠が裏切っていたなんて、やっぱり信じられない。
「先程はすまなかった。……アッシュやメシュティアリカの手前、ああするしかなかったのだ」
何に対して謝罪しているのか、言わずもがな解った。
ゆっくりと頷くと、自分の顔が自然と緩んだのに気づいた。相当強張った顔をしていたらしい。
「いーよもう。師匠が戻ってきてくれただけで。それよりここは?」
自分にはやはりヴァンしか居ないのだと、心のどこかで安堵している自分と、ため息をつく自分に気付く。
見放されたはずなのに、なぜかもっと一緒に居たかったと思った。
そんな考えを断ち切るように、努めて明るい声で訊ねる。
「ここは私の研究室のようなものだ。ベルケンドには神託の盾の中だけでは得られない情報もあるからな」
ベルケンド、と聞いてアッシュたちの会話を思い出した。
「確かアッシュたち、ここに来るって言ってた」
「そうか――ここまでは来ないと思うが、一応場所を変えた方が良さそうだ」
聞かれては困ることも多少あるからな、と付け足しのように言ったそれに、少し不安を抱く。
そして二度三度、口を開いては閉じて、ようやく言葉を搾り出す。
どうでもいい戯言など気にすることはない。それでも訊かずにはいられなかった。
「師匠、俺があいつの――アッシュのレプリカだなんて嘘、だよな?」
確認ではなく、確言のつもりだった。
自分は誰かのレプリカなどではなく、『ルーク・フォン・ファブレ』という一人の人間だと。
アッシュの言っていることはすべてでたらめだと。
そういう確信を込めた声で問えば、ヴァンの表情が次第と曇る。
また、嫌な予感がした。再び身体中が強張っていくのが分かる。
「残念だが、それは事実なのだ。お前は七年前、私がアッシュの情報を基にして造ったのだよ」
しっかりとした低い声が、狭い部屋にやたらと響いた。
それが何度も何度も、頭の中で鈍い痛みを伴って繰り返される。
理解するには然程時間がかからなかったが、やはり認めることができずにいた。
「そんな……俺は、俺は――」
継ぐ言葉が見つからないまま、沈黙が訪れる。
きっと実際には数秒にも満たなかったであろうその間が、酷く永いものに感じられた。
その重苦しい沈黙を先に破ったのは、ヴァンだった。
「だがお前はお前だ。いくらアッシュを基にしていても、今のお前は『ルーク』だ。違うか?」
「でも! でもアッシュは俺のこと『劣化複写人間』だって言った! 俺は劣化してるから、だから障気の中和にも失敗したんだろ!」
唯一確固たる否定をしてくれる人物が肯定をしてしまえば、いくら足掻いてもそれは事実でしかなくなる。
ヴァンの肯定の一言は、自分の存在を否定してしまうものなのだ。
「ルーク、落ち着きなさい。あれは成功したのだ。アクゼリュスは、いずれ滅びる運命だったのだ」
ルークの肩に手を置いて、優しく宥める。それでも胸に渦巻く感情は、静まらない。
「いずれって……どういう……」
「それについても、場所を改めて話そう」
私と共に来なさい。そう言って手を差し伸べるヴァンを見て、不安が思考を支配していく。
この手を取っても良いのだろうか。今なら間に合うかもしれないのに?
そんな愚問を並べるもう一人の自分の声に、愚答する。
――それしかないだろ?
かつての仲間は自分を置き去りに話を進め、その結果自分がした事を咎めて見放し、見捨てたのだ。
今さら何を迷うことがある?
立ち上がってその手をしっかりと掴む。まるで縋るように。実際は縋っているのと同じなのかもしれない。
「お前はアッシュと違って良い子だな。……では行こうか」
「はい。師匠」
できるだけ平静を装った声は、今度こそ普段どおりに聞こえた。
これでいい。俺が赦されないんだったら、あいつらだって赦されるわけがない。
それでも誰も咎めないなら、俺が咎めればいい。
その眼は、アッシュがルークを見下していたあの眼と同じようでいて、だが僅かに濁った色を宿していた。
踏み出す一歩に、もう躊躇いの気持ちは窺えない。