第4章 守るための裏切り 2
連絡船から降ろされ、拘束されたアニスたちは大詠師派の神託の盾兵に周りを固められてそのままバチカル城へ連行された。ナタリアとアッシュはナタリアの私室に閉じ込められるらしく引き離されたが、アニスたちは地下にある罪人部屋へと投げ入れられた。
「いったあい! しかも罪人部屋って、あたしたちが悪いことしたみたいじゃん! すっごいムカツク!」
背を向けている牢番に聞こえないように毒づく。牢屋に入れられた上におざなりな扱い。後ろ手に縛られているので受身がうまくとれず、顔を強かに打ちつけた痛みも相俟って無性に腹立つ。
「モースからすれば預言に逆らう人間は皆罪人に等しいのでしょうね」
「あーもう! ……こっから出たらトクナガでぶっ潰してやる」
「アニス、本性出てるぞ」
ガイに窘められたアニスはすまし顔で肩を竦めた。今さら取り繕う気も無い。自分の得になるものの為になら媚を売るのなんて大したことではないけれど、今はそうする相手も居ないのだから。そもそもその相手だってレプリカだったのだから媚を売ったところで無駄な努力だったのだし。そうして思い浮かんだ人物にまた苛立ちが増していく。
アニスは両親を守るためなら何だって犠牲にする。たとえそれが露見して詰られて立場を失くしたとしたって、自分の恋を犠牲にしたって、命に代えてでも守ると決めた。
だけどルークは何のためにアニスたちを裏切っているのだろう。すべて自分の保身のためにしか思えない。自分がこの世界にあってはならない存在だと思い知って、偶然拾い直した男に気に入られるために行動しているとしか思えない。
『あるいは彼自身の意思、かもしれません』
ザオ遺跡のパッセージリングを操作して降下を喰い止めたとき、ジェイドが言い放った言葉。
『俺は復讐のためなら何でも利用する。預言もヴァンも――この世界すらも』
ぞっとするほど冷たい声音。けれど怨みがましさなんて少しも絡みついていない澱みない声。嘘かもしれない。詭弁かもしれない。両親のように安易に他人を信じたりしたら、馬鹿を見るに決まっている。
「あの調子だとナタリアもアッシュも殺されかねません。急がなければ」
「問題はどうやって脱出するかね」
「ティアのナイフも奪(と)られたしな」
「譜術で何とかなんないんですか? 大佐」
「すぐに音素探知機に引っ掛かってしまうでしょうね。武器もない状態ではそれこそ私たちの方が先に殺されかねませんよ」
四面楚歌の状況に思わず長い溜め息が零れる。もしも、ジェイドが言ったとおりになってしまったとしてもアニスだけは助かるだろう。だってアニスは自分たちをここへ閉じ込めたモースの味方なのだから。
再びの溜め息が喉を通り過ぎたとき、金属が擦れあうかすかな音が耳に届いた。牢番の兵も気がついたのか音が鳴る方へと近づいていく。
「なんだお前は? もしかしてチーグルか?」
牢番の言葉にはっと息を呑んで顔を見合わせた。「チーグルって、もしかして」、思い浮かぶ姿はひとつしかない。
「ティア!」
「わかってるわ。ミュウ、耳を塞いでいて!」
ガイの促す声に応えたティアは、すう、と息を吸って旋律を紡ぎだす。ナイトメア――相手の意識を暫くのあいだ闇に沈める第一音素譜歌だ。すると牢番は短く唸ったのちにたちまち意識を失った。それを見はからって駆け寄るように現れたのは想像に違わず、青い毛並みを揺らすミュウだった。
「やっぱりあなただったのね」
「お久しぶりですの。はやくここから出るですの」
長い耳の左側に引っ掛かっているのは鈍く光る銀色の輪。そこに数個の鍵がぶら下がっていた。ミュウの炎で縄を焼き切ったジェイドが鍵を受け取って内側から開錠する。それから同じようにして他の縄も焼き切った。
「武器は反対側の通路の奥ですの」
頷いたアニスたちはティアのナイトメアを盾に進んだ。奥の部屋に辿り着くと、言葉通りにそれぞれの武器が放り出されていた。
「これでやっとナタリアたちを助けに行けるね」
「ええ、行きましょう」
「ちょっと待ってくれ。――ミュウ」部屋を出ようとするアニスとジェイドを引き止めたガイは、躊躇いがちにミュウへ問いかけた。「お前に鍵を渡したのは、誰だ?」
ミュウはおおきな目にうるんだ光を閃かせ、一度開いた口をきゅっと結んで俯いた。「それは言えないですの」
「どうしてなの?」
「ルークなんだろ、あいつが俺たちを助けてくれたんだろ?」
畳み掛けるティアとガイにミュウは泣きそうに顔を歪めて頭を振った。どうしても言えないという精一杯の葛藤が表れた態度。それだけで判ってしまう。ミュウをここへ出向かせたのは、間違いなくルークだ。
(だからって、それがどうしたの?)
「やめてよ」無意識に飛び出した声は自分でも驚くほど刺々しかった。だけど止められない。胸を圧迫していくわけのわからない焦燥と渦を巻くような強い憎しみに似た何か。「ルークルークって、バカみたい」
衝動のままに感情が口を突いて出る。不可視であるはずの言葉が熔け出してアニスの周りを包んでいくようだった。目の前が真っ赤に染まる。
「言ってたじゃん、復讐のためなら何でも利用するって。もしホントにあいつがあたしたちを助け出したんだとしても、それはいつか利用するためなんだよ! あたしたちがあいつを赦さないように、あいつだってあたしたちを赦さない。信じたってどうせ裏切られるんだから!」
どうして気づかないのだろう。どうして気づいてくれないのか。本当は苦しくてたまらないのに。両親のためなら何でも犠牲にすると決めたのに、裏切りを重ねていくたびに押し潰されそうになる。
「アニス……」
呆然としたティアの呼びかけに心がようやく静まる。ルークと自分を重ねるなんてどうかしている。アニスには守るものがある。ルークとはちがう。自分の命だけを背負っているわけではないのだ。そうやって言い聞かせていないと、だって泣いてしまいそう。
「行こうよ。ナタリアたちが待ってる」
もう迷ったりしない。躊躇いは致死。背徳の道に心が捩じ切れたとしたって、守らなければならないひとたちがいる。
一番近い階段を駆け上がって左の部屋がナタリアの私室だった。廊下に響き渡る歌声に倒れた兵士たちを横目に扉を開けると、アルマンダインがちょうど床へ崩れ落ちるところだった。
「間に合ったわね」
「ティア! 皆さん! どうしてここに!」
「牢に入れられてたんだが、思いがけない助力があってね……」
「説明は後で! 早く逃げようよ!」
苦笑するガイの隣、切羽詰った声で脱出を急かす。閉じ込められていた二人の前の液体が毒々しい真紅色に揺らめいていた。この状況で普通のワインが出てくるはずもなく、その中には劇薬が溶け込んでいるのは想像に易い。
「お待ちになって! お父様に……陛下に会わせて下さい! 陛下の真意を……聞きたいのです」
「俺からも頼む。戦争を止めるためにも、伯父上には会うべきだ」
殺されかけそうになってなお真実を受け入れようとする覚悟を瞳の中に見た。ナタリアのひたむきな心は、時々妬ましいほど穢れなくて怖くなる。傷つくことを恐れる人間に、立ち向かう勇気なんてない。
「……危険だけは覚悟して下さい」
アニスと同じものを覚ったのか、仕方なさそうに息を吐いたジェイドが眼鏡のブリッジを押さえる。目にふれる表面がどれだけ冷たくても彼の本質はあたたかいものであると、アニスは薄々気がついている。
「急いで。譜歌の効果は長くは続かないわ」
先を促すティアの声は堅い。それにすこしだけ痛んだ胸を押さえて何でもないような顔をする。いまさらだ、こんな感傷。
命令を下している人物が悪でも、それに従う人々が完全な悪であるわけではない。罪のない人々が傷つくのを最小限に抑えるため、ティアのナイトメアが城内を忍び歩いた。耳に滑り込んだならすぐに相手の意識を闇へ導く。謁見の間に辿り着くまでには、もう城内にはアニスたちの足音しかしなかった。
玉座に座したインゴベルト王は現れた人影にたじろいだように見えた。近づくにつれ伺える顔は青褪めて、ぽつりと呟く。「ナタリア……」
「お父様!」
血が繋がっていないと思い知らされながらも、呟かれた名前にはっと顔を上げたナタリアは叫ぶ。
「逆賊め! まだ生きておったか!」
インゴベルト王の隣に立つモースが忌々しいと言わんばかりの口振りで罵る。その側にはディストとラルゴが控え、二人に隠れるようにして老婆が一人佇んでいた。六神将の二人はアッシュを一瞥したが驚きも叱責もしない。ただディストだけは少し瞠目し、意味深な笑みを浮かべた。
「お父様! わたくしは本当にお父様の娘ではないと仰いますの!?」
「そ……それは……。わしとて信じとうは……」
口篭もるインゴベルト王を遮ったモースは、「殿下の乳母が証言した。お前は亡き王妃様に仕えていた使用人シルヴィアの娘、メリル」と、まるで歌うように言い放った。
「……はい。本物のナタリア様は死産でございました」モースの言葉を受けて、背を向けたラルゴの隣から進み出たナタリアの乳母である老婆は、震える声で告げる。「しかし王妃様はお心が弱っておいででした。そこで私は、数日早く誕生しておりました我が娘シルヴィアの子を王妃様に……」
「……そ、それは、本当ですの、ばあや」
か細く、広い空間をさまようナタリアの声。それは縋りつけるなにかを求めて空気中を渡り歩いたが、そんなものなどどこにもないと気づいたかのように霧散した。
「今更見苦しいぞ、メリル。お前はアクゼリュスへ向かう途中、自分が本当の王女でないことを知り、実の両親と引き裂かれた恨みからアクゼリュス消滅に荷担した」
「ち、違います! そのようなこと……!」
真相を知っているにもかかわらず、何でもないような顔をして虚言を朗々と歌い上げるモースの表情は、ひょっとしたら先ほどの自分と同じなのかもしれないとアニスは苦く思った。貼りつけた仮面。継ぎ接いだ感情。見えないそれらがボロボロと剥がれ落ちていく幻覚が見えて身震いがする。
「伯父上! そんな話を本気で信じているのか!」
アッシュが怒りも顕わに叫ぶと、インゴベルト王の戸惑った顔がさらに血の気をうしない、振り絞るように叫び返した。「わしとて信じとうはない! だが……これの言う場所から嬰児の遺骨が発掘されたのだ!」
「それが事実でも、ナタリアはあなたの実の娘として育てられた! 第一、有りもしない罪で罰せられるのは間違っているだろう!」
「他人事のような口振りですな。貴公もここで死ぬのですよ。アクゼリュス消滅の首謀者として」
モースの眼がアッシュを捉えた。入れ替わっているのを識ってのことか、ルークと思い込んでいるのか。預言を遵守することに命を賭けている男だ、どのみちアッシュも殺そうと考えているにちがいない。
「……そちらの死を以って、我々はマルクトに再度宣戦布告する」
インゴベルト王の宣言に、今度こそナタリアは崩れ落ちた。まるで足場がなくなってしまったかのように。ナタリアにとっては同じことかもしれなかった。
「あの二人を殺せ!」
左右に侍るディストとラルゴにモースが叫ぶ。「何をしているのです! ラルゴ! 他の者の手にかかってもよいのですか?」
「くっ、強引に連れてこられたかと思えば、こういうこととはなっ!」
怒りにも似た苦い顔をして大鎌を構えるラルゴが距離を詰めようとした直後、アニスの目の前にあった扉が開いた。差し込んだ強い光が真っ直ぐ道をつくる。
そこからゆっくりと歩み寄る人影を見て、アニスは息の止まる想いがした。黒衣に身を包み、長く紅い髪を靡かせて光に背を向けるその男は――「ラファエル! ちょうどいい! そいつらを捕まえなさい!」
「ルーク……」
誰からともなく溜め息のような呟きがこぼれる。そんなアニスたちなど見えていないのかと思うほど迷いの無い足取りで、ディストの叫びにも答えないまま両者の中間で立ち止まった。
振り落とされた大鎌を左剣だけで受け止めた彼は、微かではあるが不思議と響く静かな声で呟く。「ラルゴ。俺の邪魔をするな」
「それは俺のセリフだ。何故お前が奴らの味方をする」
演技でもなく本心から怪訝そうに返したラルゴの得物を振り払った彼の表情は、背を向けられているアニスたちにはわからない。
心臓の遅速が小刻みになり、握り締めた手が震えるほどアニスは緊張していた。喉を通る空気に呼吸が渇く。
(敵のくせに、裏切ったくせに、今さら仲間みたいに振舞わないでよ)
「味方するわけじゃない。こいつらは俺の手で裁く。邪魔は赦さない」
心のなかを読まれたような金属性の声に貫かれる。耳が痛いくらいの静寂に響く過透明の声、それはあまりにもこの光景に相応しくなく、なぜだか泣いてしまいそうになる。
「早く行け」
それがアニスたちへと向けられているのだと判るのに一瞬の間を要し、弾かれるようにナタリアの手を引いてアニスは扉の外へ向かって走り出した。後ろ髪引かれるようにして何度も振り返るティアの背を押す。
アニスには、わからない。
(ルーク、あんた、あたしたちをどうしたいの)
手を伸ばせば突き放すのに、気づけばいつだって護られていた。
(あんた、なにがしたいの)
涙腺から零れ落ちそうになるものを駆ける速さで過ぎていく風で振り払う。ナタリアの手が不意に強くアニスの手を握る。きっとナタリアも揺れている。彼女だけじゃない、ティアもガイも、誰もが。
ナタリアの手を同じ強さで握り返し、前を目指してひた走るあいだ、アニスは心のなかで繰り返す。躊躇いは、致死。