そして彼らは『彼』を探す旅へ
※『』つづき



失くし物に慣れ過ぎた
この手が満ちる時



「どうして……」
二度目になるその言葉は、けれどさっきとは違う意味で放たれた事は容易に理解できた。 そしてそれは涙を流しながら崩れ落ちた彼女だけではなく、この場に居る全員が抱いている疑問でもあった。――自分も含め。
かぶりを振って、そして俯いた。それしかできなかった。
ああ、ここは酷く居心地が悪い。
「俺にも解らない」
「アッシュ、私たちはあなたが帰って来たことがとても嬉しいですわ。ですが、ですが……」
誰もが俯いて、言葉を継ぐのを躊躇っていた。
言ってしまえばアッシュを追い詰めるだけだと解っているからこそなのだろうけれど、 それでも自分のなかだけでは抱えきれない感情を、その表情や仕種、そしてある者は涙を流すという行為でそれとなく伝える。
何もかも今更だった。失くす事には慣れた(既に一度は命を喪った身である)というのに、手に入れるのは全くと言っていいほど経験した事がない。
だがその手に入れた物――返された名も、陽の当たるあたたかな場所さえも、全てはもうあいつの物でしかない。
今更、どうしろと言うのだ。
重苦しいほどの静寂のなか、口を開いたのはジェイドだった。
「――もう夜も近い。取り敢えず今日は近くの宿で休みましょう。今のままでは話という話もできないでしょうし」
その一言に無言のまま賛成した一行は、エンゲーブまでアルビオールを走らせて、宿をとった。
万が一と危惧した事も在って、ジェイドと相部屋になった。先程より居心地が悪いと感じるのは気のせいではないだろう。
「正直あなたが――いえ、どちらかが帰って来るなんて思ってもいませんでしたよ」
「そうだろうな。俺だって思ってもいなかった」
独り言のような言葉にそう返すと、ジェイドは苦笑しながら眼鏡のブリッジを押し上げた。
「やはりあなたには彼の記憶が残っているんでしょうね」
「お前らにとっては『記憶しか』だろ」
そうですね。
記憶にある嫌味な言葉と感情の読めない顔とは全く異なる、曖昧な笑顔を模りながら小さな声で呟く目の前の男に目を瞠る。
「『ルーク』は――失礼、彼は他に何か遺していきましたか」
「あいつにも――ルークにも『名前を返す』と言われたが、それはもう俺の名前ではない」
「そうですか」
至極どうでもいい事のように言っておきながら、その紅い瞳は僅かに安堵の色を浮かべていた。 死霊遣いと呼ばれる者でさえ、たとえ微かであっても態度に表してしまうのだから、他の者ならそれこそはっきりとした反応が見られただろう。
「それに返された場所も俺の居るべき場所じゃない。今更返されたって意味が無い」
曖昧な笑みが、少しだけ寂しげに翳ったように見えた。記憶との明らかな相違にただ戸惑う事しかできない。
「……これからどうするのですか?」
椅子に腰掛けて足を組み、視線を寄越さないままで問われる。少しの沈黙のあと、予てから決めていた考えを口に出そうとして、やめた。
「さあな」
ジェイドはそんな返事に苦笑して、わざとらしく肩を竦めながら息を吐く。
「まあ、止めても無駄でしょうし、あなたの好きにすれば良い」
「お前に言われなくともそうするさ」
「なら今日は寝てしまいなさい」
まるで小さな子供をあやす様に紡がれたその言葉に多少ムッとしつつも、何かを言ったところで痛烈な嫌味が返ってくる事を知っている(特にも新しく付け足された方の記憶が切実に訴える)ので素直に従う事にした。


灯りを落とした部屋に静寂が訪れる。窓から差し込む月灯りはぞっとするほどの鋭い冷たさを伴っている。
その月灯りのもと、互いに静かな呼吸が規則的に繰り返されるが、まだ眠りに堕ちていない事を知っていた。
「『代わりに約束を果たしてくれ』と言われた」
まるで静けさのなかに溶け込むような呟きを、確かに耳に留めていると確信している。
「それがルークの遺した言葉だ」
両の瞼を浅く瞑って、睡眠を促す。早く眠ってしまいたいのに、どうしても眠気が襲ってこない。穏やかな眠りにつくにはあまりにも、気持ちの整理がついていなかった。
それから幾許かの時が過ぎ、ようやくまどろみを迎えたアッシュの耳に届いた言葉は、幻聴だったのだろうか。
そう思ったのは、惨酷ですね、と紡いだその声が僅かに震えていた気がしていたからだった。




昨夜の冷徹なまでの撥ねつける光とは裏腹に、全てを甘受するような東雲の空を仰いで暫く佇んでいると、後ろに気配を感じた。誰のものか解っているので、敢えて振り返らない。
「やはり行くのですか」
「『お前の人生を生きろ』」
質問には答えず、代わりにもうひとつ言わないでおいた言葉を返す。それは自分に向けられた言葉であり、 伝える必要はないと思っていたものの、逢瀬を果たせなかった相手の欠片を必要としている者に伝えるのは自然なことのように思えた。
「だから俺は俺の人生を生きる。あいつの名をかたってあいつの居るべき場所に留まるつもりもない」
ジェイドは何も言わない。ただじっと聞き入っているのか、それともどうでもいいと聞き流しているのかさえ解らない。
「今更俺のものでもない物を返されるなんて迷惑だ。一発殴ってやらんと気が済まん」
だから、と続けようとしたが、後ろの忍び笑いを聞いて閉口する。振り返ると右手で顔を覆いながら笑いを堪えている姿が目に入る。
「失礼。あまりにもあなたらしすぎる台詞でしたので」
揶揄するような口調に舌打ちして踵を返す。そのまま二度と振り返らず、そしてこんな風に逢うこともないだろう。
そう思っていた。
お供しますよ。まるで天気の話でもするかのような気軽さでその言葉は耳に飛び込んでくる。
自分でも解るほど怪訝な、そして驚愕の表情を向けると、記憶と相違ない不適な笑みで付け加えられた言葉に、更に衝撃を与えられる。
「もちろんこんな老体では途中でくたばってしまいかねませんので、若さに物言わす方たちにも付いて来てもらいましょうか」
笑んだまま振り返るその男の視線を追うと、こちらの様子を窺っていたのであろう面々が観念したように宿屋の扉から現れる。
「大佐ぁ〜気付いてたんなら早く言ってくださいよ〜」
頬を膨らませて酷いとか鬼とか言い募るアニスや人が悪いぜなんてため息を吐くガイに、ジェイドが何のことでしょうかねえ、などと白々しくとぼけている。
それを少し遠巻きに眺めて微笑んでいるティアとナタリアが、ゆっくりと近づいてくる。
その様子を暫く呆然と見つめていたアッシュは、ふと我に返ったように慌てて捲くし立てる。
「何でお前らが居るんだ! それに俺はお前らと居るつもりは――」
「アッシュ。あなたの場所は、『ルーク』の場所じゃないわ。私たちのなかの『アッシュ』の場所なのよ」
ティアが諭すように告げる。その表情は、昨日のそれとは全く違う、穏やかなやわらかいものだった。
「卑屈なところまで似なくてもいいのになあ。お前はお前、ルークはルーク。それでいいだろ?」
「そうそう。ほんっと変なトコでそっくりなんだもん。でも全っ然違うけどね〜」
とくに眉間の皺とかね〜。年相応の無邪気な笑顔でからかわれて、僅かに眉根に皺が寄る。
「……確かに昨晩、私たちが待っていたのはルークでしたわ。ですから落ち込んでしまったのも認めます。 ですが、やはりあなたが帰って来たのはとても嬉しかった。皆あなたの事を仲間と思っているのですから当たり前ですわ」
いきなり何を言い出すかと思えば綺麗言のような事ばかり。そう言おうとしたが、声になるどころか口さえ開かなかった。
たとえからかっているような声音であっても、胡散臭いぐらい真面目くさった口調でもまっすぐに自分を見て言葉を紡ぐその目の真摯さに。
「嘘だと思うなら、茶番に付き合うつもりで試しに一時でも過ごしたらどうですか。それでも信じられないなら、別々に彼を探しましょう」
あんたがそんな言葉を言うなんて、らしくもない。またしても声にならない言葉に、自分ひとり苦笑する。
「……一人で動くにも限度がある。有り難く利用させてもらおう」
そう言ってそっぽを向いたアッシュに、その言葉も態度も照れ隠しなのだと知っている仲間たちは遠慮なく笑った。 そんな態度に更に機嫌を悪くしたアッシュは、かつて自身の片割れにしていたような勢いで仲間を罵る。


「おかえりなさい」
一頻り笑ったあとで、ナタリアが目尻にうっすらと涙を浮かべて、噛み締めるように言う。そして続けざまにそれぞれの口振りで、言葉で。
「――ただいま」
そう口にすると、自然、頬が緩むのに気が付いた。胸に拡がる安堵感に、気付かない振りなどできなかった。
失くし物に慣れ過ぎた手は今正に、こぼれ落ちるほど満ち足りている。


朝食を摂ったあと一旦解散した銘々は、これからの事を伝えるべき相手に報じた。何せ世界の中心とも言える人物が再び何が起こるかも解らない旅に出るとなれば、 個人の意思だけですぐ行動することはできない。
だがどの機関も快く送り出してくれたのは、旅の理由に原因がある。
今では英雄と謳われ、世界中の人々から崇められている『聖なる焔の光』を取り戻しに行くのだから、反対する方が愚かだと言えるだろう。
必要最低限の物を持ち寄り再び集った仲間は、揺れるセレニアの花畑を見つめていた。まだ夜の帳が下りていないので、淡く発光することはない。
「折角家に帰ったってのに、もう少しゆっくりしていかなくて良かったのか?」
静かに問うガイの口振りは、紛れもなく友人のそれである。
「あの家はもう――」
「『ルークのものだ』ってか? だからいい加減にしろよ。ファブレ家にもおれたちのなかにも、ルークとお前の居場所は別々にあるんだ。 いつかルークと一緒に会いに行ってやれ」
「……ああ」
日が傾き始めた渓谷は、『聖なる焔の光』と称された『彼』とかつてそう呼ばれていた『彼』の髪を髣髴とさせる壮絶な紅に染まっている。
「では、出発しましょうか。これ以上ノエルを待たせるのも悪いですし」
いつものように仕切るジェイドの言葉に軽く返事をしながら、再び始まる旅にそれぞれの想いを浮かべる。
年齢も性別も不揃いな彼らが、それでもこの旅の果てを想い願うのはただひとつ。


『そしてきっとここに、あなたが居て』




黄昏時の旅人



『失くし物に慣れ過ぎた この手が満ちる時』
『そしてきっと ここに あなたが居て』
ガーネット/Cocco
2006/05/01