その企画は、居酒屋の隅で地酒をちびちび呑んでいる最中に、いきなりびょいんと顔を出した。
「どーそーかいィ?」
 久しぶりに田舎に帰ってきたという元クラスメートからその単語を聞いた時、オレは思わず尋ね返していた。
「そ、同窓会」
 にやりと笑ったそいつの、明るい茶色に染め抜かれた少し長めの髪はパサパサで手触りが悪そうだ。耳の縁には銀色のピアスが数個食らいついている。
 元クラスメートと言っても中学時代の話だ。それからたまに見かけるくらいで、こうしてじっくり会うのもだいぶ間隔が開いている。記憶にあるのは何にも考えてなさそうな能天気顔。そんなやつがどこぞの強面ヤンキーの恰好をしてるもんだから、見た瞬間に「似合わねー!」と爆笑してやった。
 こういうのが「垢抜ける」ってやつかねえ、と考えるオレは、義務教育が終わったあと、高校へは行かずに実家の質屋を継ぐため全国行脚をした。品物を見極めるには実物に触れるのが一番だという親父の口癖を真に受けたのだ。
 質屋になるには資格も何も必要ない。それは裏を返せば、客を信用させるには実力しかないということ。確かに親父の言うことにも一理はあったわけだ。たとえその真相が、うだつの上がらない馬鹿息子に世間の厳しさを教えようという画策だったとしても。
 そういった大人の事情があって世間様へ放り出されたガキんちょは、各地の老舗質屋に赴いてこれこれこーいうのはこんな値段で、こういう傷はこのくらい価値が下がって……などの鑑識眼を養っていくうち、副作用で人間の本質を見抜くにも特化してしまった。
 いくら化粧を塗りたくっても綺麗な宝石で飾り立てても偉そうなこと言っても上等な服を着ていても、その上辺に似合うか似合わないかの差は、本質的なところから滲み出るものだ。そういう真理を10代半ばにして識ってしまったオレは、実家に帰ってくる頃にはすっかり擦れっ枯らしになってしまった。
 同年代、思春期真っ只中のやつらがオシャレだの流行だののケツを追っかけ回してるのを、醒めた目でしか見られなかった。そうなると人付き合いも自然と疎遠になるもので、中学の友だちともあまり顔を合わせなくなる。つまり今、真正面でウーロンハイを呑んでいるこいつ以外は。
「いやさ〜、このフキョーでリストラやら再就職難やら色々気落ちすんじゃん? そういう時こそ昔を振り返りたくなるわけよ」
「おっさんくせえな……」
 そのフキョーを体現するフリーターに呆れたため息をつきながら、そうかオレら世代ってもう普通に働いてる歳なんだなァとか思っちゃうオレもだいぶおっさんくさい。高校も入らずこののんびりした場所にいると、時間の区分けが無い分なんだか異様に時間の進みが遅い。それでも他人の環境が色々と変わったという話を聞くと、もうそんな歳になるのねーと言う近所のおばちゃんたちの気持ちがわかる。
「それにオレら一回も集まったことねーじゃん。10年ってなんかキリいーし」
「ああそう言えば……そうだよなァ」
 そういうわけで、並中同窓会をやろうぜ企画が始動した。

 同窓会も幹事となると意外と大変なものだ。とりあえず会場を確保しなければならない。料理が食えて酒が飲めて大人数が入る広さ、そして貸し切りのできる場所。貸し切るにも日にちが解らなければ店に迷惑をかける。そして日程を勝手に決定して「この日に同窓会やるから来いよ」となると来れる奴も来れない、となると、「まずは皆のスケジュールと参加の意思確認だな」
 実はこれが一番骨が折れる。なんてったって全国津々浦々に散らばった奴らを掻き集めるのだ。携帯があるから多少は連絡がつけやすいものの、連絡先を知らないとなると様々な連絡網を頼らねばならない。中には海外にいるなんて奴もいるので、調整は困難を要した。
「つーか沢田って、イタリア行ったのか……」
「あー、高校じゃ騒がれてたなあ。確か山本と獄寺も一緒だろ?」
 海外組で最も意外だったのは、沢田綱吉だ。彼は当時ダメツナと呼ばれ、言っちゃあ悪いがオレよりうだつの上がらない、海外なんて誰よりも縁のない人物だった。勉強はできない、運動はからっきし、おまけに周りの人物が豪華すぎて余計に地味な印象を植えつけた。
 彼と一緒に仕事をしているという山本と獄寺は、その豪華なメンツの筆頭たる人材だ。片や野球部エースで学校のヒーロー、片やハーフの帰国子女で不良で問題児。まったく不釣り合いな彼らが沢田と友人(獄寺に至ってはむしろ忠犬)である謎を、学内では常々論議されていた。それがイタリア。世の中って解らないものだ。
 しかも唯一連絡先を知っていたのが不動のアイドル、笹川京子というのも、その兄と恐怖の風紀委員長もまた彼と一緒に仕事しているという事実も、さらに謎を深める一因。
 そんな経緯を経て、同窓生全員がこの同窓会で一番興味があるのは、実は沢田綱吉とその周辺の事情なのだった。

 そしてなんとか日取りも決まり、同窓会当日。山本武の計らいで彼の実家、竹寿司を貸し切っての格安同窓会が決行された。ちなみに今は、もう一人の幹事が長ったらしい挨拶に文句を投げつけられているところである。
「わあったよ! 始めりゃいーんだろ。えー、並中3年A組同窓生、10年振りの再開を祝して、」
 かんぱーい! と、幹事の挨拶を足蹴にして声が飛び交った。途端に始まる近況報告や昔話の中に、沢田綱吉の声はない。「ツッくんね、ギリギリまで仕事が入ってるから少し遅くなるみたい」と、事前に笹川から知らされていた。その笹川は黒川と思い出話に花を咲かせ、男共が近寄りがたい雰囲気を作り上げていた。さすが。
 中学で学業生活をリタイアしたオレに話しかけてくる奴は意外と多かった。中にはホントにお前覚えてんのかよとツッコみたい奴もいたが。高校にもなればクラスが違うだけで疎遠になる人間もたくさんいるらしく、存外気にしないようだった。それよりも、一番こだわっているのが自分だという事実に気がついて少しだけ恥ずかしくなった。擦れっ枯らしでもオレもまだまだガキんちょだったのだ。
 皆の酔いも良い感じに回ってきた頃、店の外でブレーキ音がしたのを耳が拾った。商店街の集まりなどでしょっちゅう焼酎(駄洒落にあらず)を呑まされていたので、チューハイの一、二本じゃ酔っ払えず意識のはっきりしているオレは、ああ来たな、と思う。程なくしてスライドした扉から、予想通りの人物が現れた。が、想定外の姿だった。
「ごめん、遅れた!」
「親父、みんな、久しぶりー」
「げ、酒くせえ」
 三者三様の挨拶に、同窓生が一斉に振り返る。その皆が目にしたのはまさしくイタリア帰りの三人組だった。両脇に佇む二人は想像通りというか、元のレベルがめちゃくちゃ高いのでダークスーツもきっちり決まっている。山本はさわやかな野球少年の面影を一掃してなんだか雰囲気があるし、獄寺なんて玄人っぽすぎて、ホストクラブからそのまま抜け出してきたみたいだ。問題は、その真ん中にいる沢田綱吉。ところどころで息を呑む音が聞こえた。もちろんオレも。
「山本のお父さんお久しぶりです。お邪魔します」
「おう、たくさん食ってけよ! つっても俺は明日朝市あるからよ、食い足りなけりゃ武に握らせてやってくれ」
 山本の父にさらりと挨拶をする沢田は、真っ白なスーツに身を包んでいた。華奢な身体つきと柔らかそうな亜麻色の髪にそれは似合いで、まるで別人。顔なんて高校生にすら見えるのに、深い瞳の色が妙な婀娜っぽさを醸し出している。
「ところでツナ坊……美人になったなあ」
「……それ、流行ってるんですかね」
 さっきも実家で知人に言われましたよ、と彼は項垂れるが、山本父が思わず呟くのも無理はない。昔こそ女顔だとは思っていたけれど、とんでもない。目の前の沢田綱吉は、男女とも区別できない正真正銘の「美人」だった。
 そこでようやく場が固まっているのに気がついた沢田は、気まずそうに「お久しぶり、です」と言った。それを皮切りに、男女関係なしにものすごい悲鳴が沸き起こる。信じられなーい、嘘だろ、お前ホントに沢田か!? 言葉は違えど、主にそんな感じの。きっと酔いなんて一気に覚めたに違いない。
 ツチノコ発見時以上に騒ぎ立てる連中に若干気圧されつつ、沢田はカウンターへ腰を下ろした。山本を挟んで隣の椅子。そこへ今にも詰め寄ろうとしていた人の群れを、沢田の右に座る獄寺が視線で射殺す。10年前より凄みがある。
「あ、今日はお招きありがとう」
 こちらに気づいた沢田は握手を求めようとして慌てて会釈をした。「やだなあ……あっちで癖がついちゃって」という呟きも本心らしく、全然嫌味に聞こえない。はにかみ混じりにすまなそうに眉尻を下げる。
 そしてオレは、握手(未遂)の時に伸ばされた左手にちらっと見えた時計に衝撃を受けていた。
 ダメツナにジラール・ペルゴ。そのありえないギャップに一瞬パチもんじゃねえかとそれとなく眼を凝らすが、見れば見るほどわかる。円い文字盤の白は陶器のように滑らかに照明の光を跳ね返し、しっとりとした光沢を帯びるオレンジのワニ革は細い手首にたおやかに巻きついている。紛れもない本物だ。
 値段にして100万は下らない。時計の方が持ち主を選ぶほどの代物なのに、まるで当然のようにそこにある。よくよく見ると、シンプルに見えたスーツだって上物だし、瞳の色と同色のタイピンも純金に縁取られた琥珀が使ってある。
(垢抜ける、ってこういうことなんだよな)
 飾り立てるのではなく、自分を引き立てる。そういう身につけ方ができる、上辺と中身が釣り合うのではなく後者が勝る人間こそ、洗練されていると呼べるのだと初めて実感する。しかもこんな恰好をしていても根っこのところは全然変わっていない。お人好しで思慮深い。変わったのは落ち着きがあるところくらいか。
「今日は呑んでもいいかなあ」
「だっ、ダメです十代目!」
「オレもちょっと反対だなあ。ツナ酒めちゃくちゃ弱いから」
 そういえば獄寺は沢田を「十代目」と呼ぶのだった。山本も山本で「ツナ」と親しげ。会話だけ聞いていると、本当に中学生のまま大人になった気がしてくる。皆が話しているふりをしながら三人の会話に聞き耳を立てているのも気づいていないらしい。
「だってせっかくの同窓会なのに……やっぱダメ、かなあ」
 沢田の言葉にサイドの二人がうっ、と詰まったのがわかった。昔からどうもこの二人は沢田の「おねだり」に弱い。本人にそんなつもりは全然ないらしいのだが、端から聞いていると「おねだり」にしか聞こえない。そして二人が返す返事は必ず「……一杯だけですよ?」「しょーがねーなあ」となる。単純すぎる。
 満面の笑みで「ホントに!? やった! やっぱりリボーンが居ないこんな大チャンスは逃せないよねえ」と言い放つ沢田が小悪魔に見える。思わず「頑張れよ」と山本の肩を叩きかけて止まる。だってきっと彼らはこういうのが楽しいのだ。小悪魔におねだりされる状況が。
「ってかさあ、沢田たちって仕事何やってんの?」
 左隣からそんなセリフが聞こえて、否応なく体が強ばった。この能天気め……! とさりげなく食らわせた肘鉄さえ「よくやった!」という合図に取ったらしく得意気だ。
 ああ、確かに気になってるさ。オレだけじゃない。聞き耳を立てて少しでも情報を得ようとしてる奴ら全員、聞きたくてたまらないだろう。けれどどう考えたって、沢田の仕事が真っ当じゃないのはわかる。ギリギリまで仕事をしてきたということは、恐らく着替える間もなく飛んできたにちがいない。たとえ着飾ってきたと仮定しても、飲み食いドンチャン騒ぎが確定している、しかもただの同窓会に上物白スーツなんか着てこないはずだ。
(つーか、白スーツなんて持ってんのがまず普通じゃねえよ!)
 痛いくらいの沈黙のあと、沢田はこだわりなく言った。
「自営業、ってやつかなあ。遠い親戚の尻拭い……じゃなくて跡継いだだけ。オレはただデスク居るだけで、あとは昔から世話になってる奴にカジノとか好き勝手やらせてる」
 自営業って言わねえよ、とは、さすがに誰もつっこめなかった。


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2009/09/05