(!)洋画『ミスター&ミセススミス』のパロディです
(!)観てないとわかりづらいかもしれません
(!)いちおうジェーンが先生のつもり(女装アリnotにょた)

それでもよろしければ





 粉塵が舞っている。光源のない薄暗い部屋でも判る理由は、みっつ。
 ひとつ目は窓から差し込んでいる満月の蒼白い光に塵埃の舞う様が浮かび上がっているからだ。
 ふたつ目は、「仕事」のお陰でやたらに夜目が利くせいである。ちょっと前までは暗闇の中じゃ何にも見えなかったのに今じゃもう、ナイトスコープをつけたみたいに、うっすらとだがある程度は把握できる。
 そしてみっつ目は、たった今、壁の向こう側からマシンガンの口を飛び出した弾丸が、身体をギリギリ掠めて後ろのキッチンに食い込んだからだ。
「まだ生きてるか? ハニー」
 弾丸が飛んできた方向から、まるで歌うように飛んでくる呼びかけに舌打ちして「お陰様でな!」と叫んで返す。皮肉でも何でもなく、ただの事実だ。
 普通じゃ考えられないけれど、たとえふたりのあいだに壁があろうと岩があろうと、こちらの行動が透けて見えるように相手はきっちり狙って『当たりそうで当たらない場所』に撃ってくる。気配と勘で。
「もう一回さっきの言葉言ってみろ」
 妙な甘さが絡みついていた呼びかけから一転、床に散らばっているガラスの破片のようにつめたく鋭い声が、耳が痛くなるほどの静寂に染み渡る。
 ガラスだけじゃなく、花瓶や食器、果ては冷蔵庫のドアに至るまで、さっきまでふたりの家を構成していたものたちの残骸がそこらじゅうに転がっている様を見て、思う。おれたちの関係みたいだな。
 キッチンだけでなく二階から今いる一階まで残念なことになったこの家の崩壊はまさしく、オレたちふたりを繋ぐものすべての崩壊だった。
「お前とはもう、別れる」
 口に出した瞬間、9ミリの弾丸が耳の横すれすれを通っていく。いっそ殺してくれればいいのに、そう思うオレは、きっと病気にちがいない。
 どうしてこんなことになっちまったんだろう、うまくやっていたはずなのに。後悔はいつだって想い出を連れてくる。そしてそれはいつだって、五年前の出逢った瞬間だ。

 『仕事』でマイアミに訪れた綱吉は、チェックインするためにホテルのフロントで手続きをしていた。その途中、複数のサイレンが鳴り響いて一気に騒然とするロビーに警察が駆け込んできた。
「先程、観光客が一人射殺された。情報によると犯人は一人旅の観光客だそうだ。該当する者は全員こちらに!」
 怒鳴り声を聞き、面倒なことになったなあ、と考えている綱吉は、周りからどう見てもそんなものとは無縁の、冴えない東洋人であった。しかし本人からすれば後ろ暗い事実は山のようにあり、おまけにすぐ顔に出てしまう小心者だった。
 渋々警察官のほうへ歩み寄ろうとした瞬間、『彼女』は現れた。
 日本でも滅多にお目にかかれない深い漆黒の長い髪と瞳とを揺らし、困った様相の、けれどどこか凛とした雰囲気のある、そりゃもう筆舌に尽くしがたいくらい絶世の美女が、綱吉を見て瞳を輝かせた。綱吉はしばらく見とれていたが、目が合った瞬間にテレパシーのごとく意思を通じあった。つまり、お互い知り合いの振りをすることにした。
 白いドレスを翻しながら近づいてくる姿はいかにも可憐でかすかに震えていて、面倒事が嫌いな綱吉にさえ、オレが守らなきゃ! という気持ちを奮い立たせた。
「待たせてごめんなさい、ダーリン」
 茶番とはわかっていながらも、そのかたちのよいちいさな唇から紡がれる甘やかな声音に綱吉の心は歓喜だか何だかよくわからないもので震えた。
「大丈夫だよ」
 しかし自分でもかわいそうなくらい女性に免疫のない綱吉は演技ですら「ハニー」なんて呼びかけは続けられなかった。それにずいぶんむかしに離れたとはいえ、生粋の日本人にそんな砂糖菓子の会話は期待してはいけない。
 犯人をとっちめようと爛々と目を燃やしていた警察官も、ちらりと視線を寄越しただけでちぐはぐなカップルを見送った。
 途中だった手続きをするために戻ろうとしたフロントには、既に人影はない。危険が近づいたら仕事中であれ逃げる。個人主義の為せる業だ。
 むしろ都合がいいと連れ添って勝手に空き部屋へと滑り込み、綱吉はようやっと詰めていた息を吐き出した。
「助かったよ」
「お互い様」
 綱吉の礼に悪戯っぽく笑う顔には、先程まで見せていた緊張の欠片もない。一瞬、あれ? と過った違和感は、しかしすぐに「女の子って強かなんだなあ」という感心に擦り変わった。それがのちに悲劇に繋がるとは思いもせずに。

「お仕事で来たの?」
 ホテルのバーを勝手に拝借して乾杯した次の瞬間、そう言った言葉が懐かしい故郷の響きだったので、びっくりするのと同時、不思議な安堵感が胸に満ちて思わず笑顔で「そうだよ」と同じく日本語で返していた。本当ならば『仕事』に関わる話題はたいへん不味いのだが、そんな警鐘もすぐに霧散してしまう。
 リボーンと名乗った彼女は、知的でユニークで気立てのよい、本物の美人だった。切れ長の目は睫毛がバッサバサでしろい頬に影を作っている。声は高く澄んでいて耳に心地よい。
「私も仕事なの」
「へえ! なにやってるの?」
 綱吉の質問にうっそりと笑ったリボーンの唇が、気づいたら重ねられていて、頭が真っ白になった瞬間、「あなたと似たような仕事」と囁かれたセリフに頭をがつんとやられた。
 なんで、いつ、バレた。リボーンが決して冗談で言っているのではないのを彼女の目が語っていて、繕うことすらできずにただ疑問が頭を駆け回る。
 反射で一度も使ったことのない護身用バレッタに伸びた手をそっと、しかし力強く押さえられる。結構な手練れだとそれだけで知れて、ごくりと喉がなる。緊張が胃のあたりにすとんと落ちてぐるぐる渦を巻く。
「お部屋でゆっくり、話しましょう?」
 再び囁かれたのは提案ではない。明確な命令だった。
 部屋に戻ると、ぴんと空気が張りつめた。唾液も出ないほど乾いた口のせいで、空嚥下が止まらない。
「いつ、わかった」
「最初から」リボーンはテーブルに座って足を組み、腿の上で頬杖をつきながら、愉快そうにベッドに座る綱吉を眺めている。「あれね、私がやったの」
 あれ、という言葉が指すものが件の射殺事件だと気がつくのに時間はかからなかった。普段は鈍い頭も冴えるほどの緊迫感に胃がキリキリと痛む。
「『運び屋』さんに獲られちゃう前にね」
 『運び屋』――それが綱吉の仕事だった。ターゲットを掻っ拐ってクライアントへ届ける。条件はひとつ、生け捕り。
 そのクライアントとはボンゴレというイタリアンマフィアで、最悪なことに顔に裂傷のある強面な従兄弟様の組織である。
 平穏無事をこよなく愛するなぜ綱吉が運び屋なんぞをやっているかと一言でいえば、ボンゴレのボスになりたくなかったからだ。御先祖様がボンゴレの初代ボスだという傍迷惑な運命のせいで、引退間際の先代にボスになれと強要されそうになったところを必死で抵抗し、妥協案で従兄弟――XANXASをボスに立て、綱吉はそのサポートとして運び屋をやるという結末を迎えた。
 けれどもそのXANXASという人でなしはかなり人使いの荒い俺様で、綱吉は泣く泣く故郷を離れてほとんど毎日人拐いに駆り出されることになってしまった。間接的とはいえ殺人に加担するこんな仕事は早々辞めてしまいたいのだが、そうなると死を選ぶしかない。そんな惰性を続けてきたしっぺ返しがとうとうやってきたわけだ。
 正体がバレた時の選択肢はふたつ。殺るか、殺られるか、だ。しかし綱吉に前者はありえない。つまり、「オレ、こんなとこで死んじゃうのかあ……」
 ぼそりと呟いた綱吉は俯いてしまったせいで気づかなかった。リボーンの目が驚きと好奇心で輝くのを。
「死ななくてもいい方法がひとつだけあるぞ」
 綱吉はまるで聞き覚えのない声にはっと顔を上げ、警戒体勢であたりを素早く見回した。しかし部屋にいるのは綱吉とリボーンのふたりだけだ。
「オレのものになれ」
 声のする方向を見ても、そこにはリボーンしかいなかった。気味悪さに綱吉が眉根を寄せていると、リボーンが呆れたように「どこ見てんだダメツナ」と言った。その、聞き覚えのない声で。
 綱吉が唖然と見つめていると、おもむろにリボーンは頭に手をやり、カパっと頭を持ち上げた。正確には、頭の毛を。
「ええええええ!?」
 驚きを隠せずに絶叫する綱吉を尻目に、リボーンはどんどん体の一部を取り外していく。シリコンでつくられた胸やら、キュッとしたくびれをつくりだしていたコルセットやら。
 数秒後には絶世の美女どころか、絶世の男前が目の前に立っていた。しかも全裸の。
「うおおおおおいちょっと待てええええ!?」
 状況を整理しようにも、眼前で繰り広げられた光景を脳が受け付けられずに失敗する。その間に嬉々としたリボーン(もちろん男バージョン)が身体の上に乗り上げてきてますます混乱。脳味噌がシェイク状態。
「ストップストップストップ! オレなにがなんだかさっぱり」
「安心しろ。オレに任せとけ」
「いやいやいや! 任せらんねえよっていうか何するつもりだよ!?」
「何って、ナニだろ?」
「さも当然、みたく言うなよ!」
 喚いて暴れている間にもあれよあれよと魔法のように服が体から剥がれていくのを綱吉は見て愕然とする。
「死にたいのか」
「死にたくないけど残りの選択肢がおかしいだろ明らかに!」
 叫びながら最後の砦であるトランクスを必死で守っていると、短い舌打ちが頭上から降ってきた。気のせいか、何かが切れた音も一緒に。
「うるせー黙ってろ」
 直後、口が塞がれて叫ぶこともままならなかった。ふれあうどころか口内までリボーンの舌が侵入し、息まで呑み込むような激しさで蹂躙しはじめる。
 驚きでうっかり手を離したのを見逃さず、リボーンは最後の砦を足からすっぽ抜いた。
 そうなればもう後はなしくずしで、はっとする頃にはもう時既に遅し。足を絡ませて女の子みたくあんあん言わされ、それに絶望する暇もなく襲い来る快感にひたすら流されるだけであった。

 沢田綱吉、三十歳。他人から時に誉め言葉、時に厭味として言われ続けた自分の順応性の高さを初めて自覚した、南米の夜のこと。



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2010/01/28