第1章 再生の儀式 3
ヴァンに攫われたあの日、自分を取り巻くすべてのものを奪われた。
今まで当たり前だと思っていた居場所。善い意味でも悪い意味でも絶対的な存在だった両親。政略の雰囲気を孕んだ大人達の中で暮らす日々で唯一信頼できる幼馴染み。そして、師匠と敬慕していた男への信頼や憧憬。
それらが当然だと思っていた頃の自分とまるで重なるような、自分を模した存在が酷く腹立たしかった。何もかもを奪っておいて、我が物顔で迂愚を晒すレプリカが。
それなのにまだ、足りないのか――。
セフィロトツリーを利用してユリアシティから外郭大地へ戻り、向かったのはヴァンが足繁く通っているベルケンドの第一音機関研究所。そこでスピノザに出会い、漸く計画の糸口を掴めたと思えば諸悪の根源の軍人に先を阻まれた。
確かにあの場で騒ぐのは拙かったかもしれないが、急がなければ何を仕出かすか解らないのだ、あの男は。
それでも何とか手掛かりめいた情報を研究員の会話から得て、ラーデシア大陸にあるワイヨン鏡窟を目指そうとしたその直後、「俺は降りるぜ」と告げた過去の幼馴染みの声が沈黙を招いた。
その後、仮の仲間が呆れたように引き止めたが彼の意思は固かった。諦観して道を示してやれば、別れの時間さえも惜しむように短く別れを告げて駆けて行った。
「ルーク! 止めないのですか!」
「その名前で呼ぶな。それはもう俺の名前じゃねぇんだ。 ……ヤツの好きにさせればいいさ。お前も、あのレプリカのところに行きたければいつでも行くんだな」
吐き捨てた言葉に俯いて、それきりナタリアは黙ってしまった。
そう、解っていた。本当は仇の息子だから自分に取り入ったのだと、ガイの同胞の男から聞いていたのだから。
だが本当は、この状況でレプリカの元へ行く事はないと、どこかで高を括っていたのかもしれない。慮外に傷ついているのが馬鹿らしく思えて、すぐにその思考を捨てた。
元よりもうすべて奪われた身。今更こんな事で傷つくほどその月日は決して短くはないのだ。
それよりも――と思い巡らせた先は、彼が迎えに行ったレプリカの事。
ベルケンドへ向かう途中のタルタロスの中で、突然切れた回線。それが自然的なものなら気に掛ける必要など無い。
だが拭いきれぬ違和感がそれを許さなかった。そしてこの胸騒ぎ……しかも何か悪い事が起きる前兆のそれ。
回線を切ったのは――フォンスロットを閉じたのは確かにあの甘えたな出来損ないだ。しかし独りでその作業が出来ない事は今までの経験で窺い知れる。そして切断される直前に、まるでノイズのように錯雑と、微かに聞こえた声――……。
「おや。こちらのルークもガイがお気に入りでしたか。お友達に出て行かれて、寂しいですねぇ」
「……うるせぇ!」
微妙に見当はずれなジェイドの揶揄をいなすと、「ふむ……理論上はありえませんが、微妙に性格も似ていますね」などと勝手な解釈を始めたので強引に話を打ち切り、鏡窟へ向かうためタルタロスへと歩みを進めた。
それでも憤りは抑えられず、頭の中では悪口雑言を並べ立てていた。
――あんな屑と似ているだって? 冗談も大概にしろよ。俺はあんな風に考え無しでもないし馬鹿でもない。ヴァンの言うことを真に受けて無鉄砲に行動したりしない。無知の極みのように愚かな真似はしない。
そこまで考えてふと、そういえばあのレプリカは何も知らなかったのだと思い至った。
自分が誘拐されてその替わりにあの屋敷へと置かれた替え玉。意図せず周りを騙し、周りから騙され生きてきた七年間、何も。
――それが、何だって言うんだ。
そう、七年もあったなら努力をすれば、世界までとは言わなくとも、周りの状況くらいは理解できたはずだ。無知を理由に赦される事など無いのだ。それが何万人もの命を奪ったというなら尚更。
被験者である自分のすべてを奪っておいて尚、まだ奪おうとするのか。まだ、足りないのか。
「ガイもティアもいなくなっちゃったから、な~んか寂しいなぁ」
導師守護役の子供がそう呟くと、導師が寂寞と「それに、ルークも居ませんしね……」と返す。
「あのお馬鹿なんか、どーでもいいですよぅ」
「そんなこと言わずに……。ルークは、本質的には優しい人でした」
アニスも負けじと頬を膨らませるが、イオンも譲らない。次第に激しくなっていく応酬に誰も口を挟もうとせず、ただその内容に耳を澄ましていた。
「何言ってるんですかぁ、あんなワガママで横暴な奴! イオン様だって色々ひどいこと言われてたじゃないですか!」
「……そうですね。でも、今は分かります。彼は、人と接すること……周囲に自分の気持ちを伝える方法を、まだよく知らなかったのです。彼は優しかった。……アクゼリュスの惨状を見て、最も傷ついたのは彼なのかもしれません」
「……フン。さすが導師イオンはお優しいことだな。あんな屑の心配をしてやるとは」
何故かレプリカを庇い続けるイオンに痺れを切らして皮肉を言うと、無垢な眼差しと声音で、彼ははっきりと口にした。
「彼は仲間ですから」
――こいつもガイも、いっそ清々しいほどにお人好しだな。
聞こえない程度に溜め息を吐くと、時々呼びかけてみても応えない同位体の所在の予想が当たらないことを祈りながら、改めてタルタロスの操作に意識を向けた。