第1章 再生の儀式 5
「昔のことばっか見てても前に進めない」
その言葉が無かったら、そう言って浮かべた笑顔が無かったら俺は、疾うの昔に何の罪も無いまっさらな命を奪っていただろう。自分の感情の赴くまま、虎視眈々とその日を待って憎しみを募らせていただろう。
罪を犯す事なんて、道を一歩踏み間違えただけで容易く成しえてしまう。
たとえ本人がそれを望んでいなかったとしても――……。
ベルケンドから一人、なるべく敵の目を盗みながらアラミス湧水洞に着いたは良いものの、ルークがいつ来るのかも解らないまま待つだけというのは落ち着かなかった。それにまだ、意識が戻ったのかすら解らないのだ。
「参ったな……」
そう独りごちてみても、いつものように「どうしたんだよ」と覗き込んでくる勝気な双眸は無い。自分で突き放してしまったのだから当然だ。
あの時の、「幻滅させないでくれ」と自分が吐き捨てた時の絶望的な眼差しが頭から離れなかった。確かにそう思った。何万人もの命を奪っておいて、と苛立った。
だがルークがレプリカだと知り、アッシュたちと外郭大地に戻る間何度も巡ったのは、一人で歩くこともままならず、言葉を喋ることも出来なかった七年前の姿。
あれから一人で歩けるようになり、言葉を話すことが出来たルークに『記憶を取り戻せ、元のルークに戻れ』と言い聞かせ、最低限の知識しか与えなかったのはまさしく、自分を含む周りに居たすべての人間。
言わばルークは命を与えられただけの『人形』だった。自分も幼馴染も、彼を造り出す技術を生み出した軍人も、それを知りながらルーク独りに責任を押し付けて、逃げようとした。
「……最低だな」
――俺も、あいつらも。
「ガイ……っ」
悲痛な叫びがあたりに響いて、半ば放心状態だった意識が醒めた。それは聞き慣れた、だが望んでいたものとは違う声だった。
「ティア……? ルークは――」
「ごめんなさい……兄さん――ヴァンが……っ」
そこまで言うとティアは泣きそうに顔を歪め、それでも涙は流すまいと唇を噛み締めた。
「攫ったの。多分、また利用するつもりなんだわ」
何を、と言われなくても即座に理解できた。その身一つで超振動を起こせる希少な存在。誰も必要としない今であれば手懐けることなど容易だろう。
「ご主人様は大丈夫ですの? 帰ってくるんですの?」
「ミュウ……」
「皆ひどいですの……ご主人様は『ヴァンせんせい』のために頑張ったのに、ご主人様のこと怒って置いていったですの……」
「その、『ヴァン師匠のために』ってのはどういう事なんだ?」
拙いながらに必死で主人の弁明をするミュウの言葉に胸が軋んだ音をたてたが、引っ掛かりを覚える内容を質した。
「私も後で聞くって言ったままだったわね。でも、今は取り敢えずここを出ましょう」
「そうだな」
「はいですの!」
――避けている。直感的にそう感じた。ティアが、ミュウの話す内容を先延ばしにしたがっているように思えた。その理由が解らないほど純粋でも、無関心でもいられない。
彼女はきっと、恐れている。自分自身の罪に気付いてしまう事を。
徘徊する敵を二人で一掃しながら洞窟を抜けて開けた場所に出た。光に慣れない目が辛うじて捉えたのは、ここに居るはずの無い人物。
「ジェイド」
「大佐、どうしてここへ……」
「入れ違いになったかと心配しました。ガイに頼み事です。ここでルークを待つと言っていたので――」
そこで漸く、ルークが居ないことに気付いたジェイドが目を瞠る。そしてすぐに眇めると、嘲笑するかのように嘯いた。
「おや、お坊ちゃんは拗ねてしまいましたか」
「大佐!」
「――旦那、流石にそれは笑えないぜ」
「すみません。つい、ね……」
それでも人を食ったような表情は変えず肩を竦める。だが、一瞬だけ窺うことができた獰猛な目の光に、継ぐはずの言葉を思わず呑み込んでしまった。
「それで、彼はどうしたんですか? あなた方の反応を見ると拗ねている訳では無さそうですし」
「ヴァンに攫われたんだ」
「……それはまた……厄介な事になりましたね。ですが、今はこちらに協力してもらいますよ」
「そうやって蔑ろにしてたから、あいつはヴァンの言いなりになったんじゃないのか」
「違いますの! ご主人様は言いなりになったんじゃないですの!」
いつもは温厚なはずのミュウが声を張り上げたその言葉に、半ば冷戦状態だった事も忘れてジェイドと目を見合わせた。
言いなりになったのではないのなら、ルークは自分の意志で超振動を使ったという事になる。自分で望み、数多の命を奪ったのだという事に。
「それなら」重苦しい沈黙を破ったのは、ミュウの言葉を聞く事を恐れているはずのティアだった。気丈な彼女には珍しく蒼白な顔で、微かに体を震わせながらそれでも俯かずにミュウを見据えていた。「それならルークは、自分の意志でアクゼリュスの人たちを殺したって言うの」
表情とは裏腹に冷静な声音で呟く様は、さながら戦場にひとり残された少女のようだ。絶望の果てに「どうして」と独りごちるような、そんな脆さがあった。
「ご主人様は必要だって言われた事が無いって……『ヴァンせんせい』が初めてだって言ってたですの。だから、だからご主人様は『ヴァンせんせい』のためにやったんですの」
『俺と師匠は瘴気を消そうとしただけなんだ!』
『あの場所で超振動を起こせば瘴気が消えるって言われて……!』
『俺に……俺にできること……』
――そうだよな、お前は何も知らなかった。でもあの場に居た誰にでも、責任はあったんだ。俺にも、周りのやつらにも。
「……俺は、七年間あいつの傍で世話をしてきた。その間『早く記憶を取り戻せ』ってずっと言い聞かせて。いつか戻ると思って、付け焼刃の教育しかしてこなかった。あいつがレプリカだって知らなかったから――でも、『知らなかった』で赦される事なんてない。ルークが何も知らなかったことで責められるなら、俺もみんなも同じ責を負うべきなんじゃないのか?」
言い聞かせるような口調に益々頼りなく震えるティアの前、感情の無い表情で聞いているジェイドに憤りを覚えつつ、二人の共犯者の反応を待つ。ここで応えが返らないなら、一人でルークを捜しに行くまでだ。
「『あなたは兄がいなければ何も出来ないお人形さんなのね』」
「え?」
「私、ルークが癇癪を起こして兄さんは私たちとは違うって言った時、そう言ったの」
そう言いながら向けられた眼差しは痛々しいほどだった。彼女もきっと解っている。だからミュウの言葉を頑なに恐れていたのだ。
「だけど、あの時ルークが信じていられたのは兄さんだけだった。私たちはルークを疎外してたんだもの。確かにルークの態度は説明する気を削がれるものだったけれど、だけど言うべき事だってあったんじゃないかしらって、ずっと……」
「ティアまで感化されてどうするんです? それよりも今はイオン様とナタリアを――」
「ジェイド! あんた……っ」
呆れたように言い放ったジェイドに憤りを抑えきれず、胸倉を掴んで殴りかかろうとした刹那、ここにあるはずの無い声が冷たく響いた。
「俺もイオンとナタリア助けに行った方が賢明だと思うぜ?」
洞穴の入り口上の高台に腰掛けて、こちらを見下ろしている人影。反射的に見上げたその姿は、いっそ別人だと言われた方が信じられた。外観は全く変わらないのにそう思ったのは、その纏う空気の圧倒的な違いを感じたからだ。
「出来損ないの上に殺人鬼の複製人形なんて誰も要らねえだろ?」
安らぎの存在だった彼は、そう認めた時と変わらない笑顔を浮かべている。
ただひとつ、暗く濁った瞳だけが、彼が変わってしまった事を物語っていた。