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  人形のうた




「あなたは利用されているだけです」
 奥歯を噛み締めて両目をきつく瞑って、自分の生を表す音しか聞こえない部屋で壁に凭れた。
 たとえ耳を塞いだとしても、その言葉は途絶えることなく頭の中でリフレインする。
 頭の中で僅かな痛みを伴って繰り返されるそれは、かつての仲間であり今では憎むべき対象からの言葉。
「解ってる」
 溜め息と共に吐き出すと、薄暗い部屋のなかにただ虚しく吸い込まれていった。
 ふいに蘇る冷たい眼。冷たい声。そのすべてに打ちひしがれたあの日に、きっと何もかもが変わってしまった。
 だけどもう、進むべき道なんてひとつしか見えないのだ。その為にあの手を取り、ここにいる。
 ――利用しているのは、自分も同じ。
 ふと重い扉をノックする音で我に返った。のろのろと立ち上がって扉を開けると、そこには荘厳な顔つきのリグレットが居た。
「閣下がお呼びだ」
「……ああ」
 足早に前を歩くリグレットに付いて歩くと、すれ違う神託の盾兵からの怪訝そうな眼差しを受けた。きっとアッシュはリグレットの後ろを歩くような事はしなかったのだろう。
 『アッシュ』として六神将として動いているルークは、今では『紅蓮』の二つ名で呼ばれている。
 しかし『アッシュ』の正体を知るのは神託の盾の中でもヴァンに近しい者だけで、その実六神将意外に呼ばれたことは無い。
 そう考えると果てしない虚無感が身体を支配して、途方に暮れたような気持ちになった。
 ヴァンの私室前まで来ると、リグレットは厳めしい扉を丁重にノッカーで叩いた。暫くしてヴァンの許諾の声を聞くとルークを中へ促す。
「総長、お呼びですか」
 未だに慣れない言葉遣いやその名を呼ぶことに、少しの抵抗があった。彼の部下になったという事を、再確認させられるから。
「メシュティアリカ達に会いに行ったらしいな」
「偶然鉢合わせただけです」
「どちらでも構わないが、お前は私の部下だ」
 解ってる。そんな事は解ってるんだ。
 もう何度言い聞かせたのだろう。それすらも解らないというのに、一体何を理解しているというのか。だけどそうしなければいつか墜ちてしまいそうな気がして、何度でも繰り返すのだ。
 罪と絶望と孤独に塗れた闇へと墜ちてしまわぬように。
「私の計画を邪魔する者はすべて排除しろと言った筈だ」
「でもあいつらはまだこっちの目的に気付いていません。利用できる限りは――」
「お前は甘いな。それとも、『戻れる』とでも思っているのか? お前を裏切った奴らのもとに」
 無数の棘を纏って身も心も蝕むように締め付けていく言葉は、確実に憎悪の覚醒を促していく。まるで焔が揺らめくように緩慢な、だけど業火のように消える事のない痛み。
 そんな痛みをやり過ごすように歯噛みしながら抗議の声を上げた。
「俺があいつらの事を憎んでいると一番解ってるのは、総長だと思ってました」
「憎しみだけでは人を殺せない。益してお前は本当の憎しみなど知らない。望んでいない事はさせられないなら、シンクのカースロットすら意味を成さないかも知れんな。 ――お前は傀儡にすらなれない、ただの人形だ」
 その表情と言葉とがあの日のものと重なり、塞がりつつあった傷に棘はさらに深く突き刺さって血を流し続ける。増していくばかりの痛みに、思わず顔を顰めた。
「傷一つ付けずに戻るなんて無様な姿を私に晒すなら、次は無いと思え」
「――はい」
「下がれ」
 一礼した後部屋を抜け静かに扉を閉めると、足早に自分に宛がわれている部屋へと滑り込んだ。むかつく胃を無理矢理ねじ伏せて、ふらふらとした足取りで寝台へと倒れこむ。
 目を閉じると必ず訪れる拷問のような残像の交錯。殺めた人の断末魔、自分へ向けられる哀れみや軽蔑の視線。それらがまるでフラッシュバックのように繰り返されるのだ。
 最終的に重なり合いひとつの映像のように自分を詰るのは、かつての師、一頃の仲間の鋭く冷酷な光を宿した眼とその言葉。
 そして皆口を揃えて言うのだ。「お前は利用されているだけだ」と。
 師匠と呼び慕ったひとは世界への復讐のために、親友と思い頼った彼は仇に復讐するために、冷淡で頭の切れる軍人は世界の平和のための道具として。
 誰も自分をひとりの人間として見ては居なかった。
 ――尤もレプリカの自分は、人間と呼ばれる価値すら無いのかも知れない。
「解ってる……」
 だから何も痛くない。傷ついたりしない。何もかも解っているから。
 自分がただのレプリカで、我が物顔でオリジナルの居場所を奪っていた事も、誰も『ルーク』を必要としては居ないことも。
 だから、何も痛くない。
 そう思わないと、生きていけないんだ。

 身体を動かすのも億劫で、かといって微睡んだまま寝付く事もできずただ寝転んでいると、もう夜半が近い事に気が付いた。
 少し前までは、こうして眠れない夜は歌声を聴いていたのを思い出す。
 亜麻色の長い髪を靡かせ凛とした碧眼を瞼に隠して、夜の渓谷で歌う彼女の。
 そういえば彼女は自分を初めて『ルーク』として叱ってくれたひとだった。
 道具としてではなく、アッシュの変わりでもなく、ただひとりの人間として。
 今更思い出したところで、もう戻れはしないというのに。
 ああだけど、これから進むしかない道は本当にひとつだろうか。正しい道では無いにせよ、自分が望む道があるのではないだろうか。
 誰かに歩まされるのではなく、自分の意志で進んでいく道が。
 そこまで考えて、緩く頭を振った。これでは甘いと言われるのも仕方ない。
 自分をここに追い込んだのは自分自身でもあり、周りの人間だ。知らぬ事は罪なのか? だが自分は何度も訊ねたでははいか。それを足蹴にした結果に起こった惨事を、然もルークがすべて悪いと言わんばかりに責任を押しつけたあいつらに、制裁を加えるのは当たり前だ。
 俺も利用しているのは同じ。自分を絶望へと追い込んだ者達へ復讐を。
 ――解ってる、だろ?
 憎しみに縋って生きる人形が胸中でそう言い聞かせ、微睡みから眠りへ堕ちていく。


 それでも意識を手放す前、彼が知らず紡いだものは、初めて自分を認めてくれた彼女が紡ぐ譜歌だった。


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06/06/11