第2章 スケープゴートと彼の白 5

第2章 スケープゴートと彼の白 5




 驚いた顔をした。
 実際本当に驚いていたのだけれど、自分のなかで冷静に周りを窺っている狡猾なもうひとりがそれを嘲笑った。
「あんたもいつかこういう風になるんだよ」
 自分達を裏切って敵へと就いた彼と自分とに、どれだけの差があるのだろう。
 もしかすれば自分の方が余程、最低な人間なのかもしれない。
 仲間に嘘を吐き、彼を蔑んでいるふりをしながら、未だ裏切り続けている自分の方が。

「それ……ホントですか……?」
 取り敢えず第四石碑の丘に逃げ込み、まるでルークの話を先延ばしするかのように今後について話したジェイドに従ってマルクトへ向かうために、ダアト港にあるタルタロスを目指す途中、漸く話されたそれぞれの内容に皆が口を閉ざす中、アニスは驚きを隠さずに問いかけた。
「ホントに、ルークが六神将に?」
「今までの事をまとめればそうなるでしょうね」
 アラミス湧水洞で現れたルークが、六神将の黒衣を纏っていた事。その後ナタリアとイオンの元へ現れた時の会話。
 無表情を繕っているジェイドも、内心困惑しているのだろう。何となくだが、このメンバーの中では付き合いの長いアニスだからこそそれが解る。
「何で? 主席総長はルークを裏切ったんじゃないの? どうして今更……それにルークもルークだよ! あんな事しておいて……っ」
「アニス」
 嗜める様なイオンの声に我に返ったが、本心なのだから訂正するつもりはない。
 あんなに酷い事をしておいて、どうして平気でいられるのだろう。自分はまだ明確に裏切ってはいない今だって、苦痛に苛まれているのに。
「――確証の無い事を言うのは嫌いなのですが……恐らくヴァンはルークをまだ利用するつもりでいるのでしょう」
「ですが、ルークは何故裏切ったヴァンに就いたのです?」
 重い沈黙が流れ、不自然な静寂が訪れる。居心地の悪い思いで言葉を探しているうちに、ガイが苦々しい表情で呟く。
「あの時点で……それ以外に、あいつの居場所があったか?」
 ナタリアとティアがはっと息を呑む気配がする。アニスはぎゅっと胸を締め付けられているように息苦しくて、それすらも出来なかった。
 罪悪感と胸騒ぎ。どちらも彼に対してでもあり、この先の自分の立場にでもあった。
 ――近いうちに、自分にも同じ状況が訪れるのかもしれない。
 そう考えて、ああ、結局自分は自分がいちばん可愛いのだと改めて思う。
「もしヴァンがあの時、ルークが必要だと言ったら……あいつにしたらルークを見捨てた俺達よりも、ヴァンの方に就くのが自然じゃないか」
 それからダアト港に着くまで、誰ひとり何も言葉を発せなかった。こんなとき場を和ませるのは大抵アニスかミュウなのだが、アニスは勿論話せる状態なんかではなく、ミュウは突然居なくなり(きっとルークの元へ行ったのだろう)まだ聞きたい事はたくさんあったのに、それすら気にならなくなる程押しつぶされそうな緊迫した空気に足取りも重く歩いた。
「……ちょっと気になってたんだが、確かグランコクマは戦時中に要塞になるよな。港に入れるのか?」
「よくご存知ですね。まあ、あなたなら(・・・・・)当たり前ですか」
 意味深に返したジェイドに、ガイは決まり悪そうに苦笑して目を逸らした。その意味はまるで解らなかったが、特に気にする事もないだろうと継いで質問した。
「でも、今はまだ開戦してませんよ?」
「それはそうですが、キムラスカの攻撃を警戒して、外部からの進入経路は封鎖していると思います」
「じゃあ海路は無理ってことですよね」
「工事中のローテルロー橋なら、接岸できると思います」
 何故か気まずそうに告げたティアの口添えで、ローテルロー橋へと向かう事になった。
 三人の間に、何らかのわだかまりがある。だがその正体がわからない。
 ただはっきりとしているのは、アニスが三人と離れている――ルークと逢った後だという事だけ。
 離れていても影を落とすその存在に、疑問符ともどかしさだけが募った。

「大佐ってここの生まれなんですね」
「……まあ、ね」
 防衛用の機雷に接触したせいでタルタロスの修理に見舞われため、最寄のケテルブルク港に入港した際、マルクト兵とジェイドが交わしていた会話を汲むと、ジェイドはそれ以上の詮索を避けるように知事邸に歩を進めた。
 必要最低限の家具とメイドしか居ない質素な知事邸の奥にある執務室へと案内されて中へ入ると、眼鏡を掛けた女性がぎょっとした表情で声を上げた。
「お兄さん!?」
「やあ、ネフリー。久しぶりですね。あなたの結婚式以来ですか?」
 唖然とする面々を余所に、アクゼリュスで死んだと告げられていたジェイドが、妹の誤解を解いていく。
 兄妹だというのに如何にも他人行儀なジェイドに違和感を覚えたが、幼いときに養子になったのならそれも当たり前なのかもしれない。
「……なんだか途方もない話だけれど、無事で何よりだわ。念のためタルタロスを点検させるから――皆さんも、出発の準備が出来るまでしばらくお待ち下さい」
 そう促され踵を返した時、ネフリーがジェイドを呼び止めた。
「お兄さん、神託の盾の方にお知り合いはいる?」
「神託の盾、ですか……」
「ええ。紅い長髪の――」
 その言葉を聞いた瞬間、全員がネフリーを振り返る。それに少しだけ驚きつつも、ネフリーはしっかりとした口調で続けた。
 心臓が煩い。それに紛れ、もうひとりの自分の声が響く。
 自分だけにしか聞こえないその声に、思わず耳を塞ぎたくなる。
「少し前なんだけど、お兄さんの研究に興味があるって仰って、必要が無いなら関する書籍と資料が欲しいって言われたの」
「……資料自体此処にはありませんし、あったとしても既に燃やしてありますからね」
「ええ。でも、一応伝えておこうと思って」
 礼を言いながら、訝しげな視線を浴びつつも先を行くジェイドの肩にガイが手を掛けた。
「なあ、さっきのは」
「ルークでしょうね」
「あんたの研究ってフォミクリーのことだろ?」
「そうですね」
「っ……なんでそんなに冷静なんだ!」
 今にも殴りかかりそうな剣幕で叫ぶガイに、あくまでもジェイドは平静さを崩さない。
「聞いていたでしょう。書籍も資料も既に燃やしてあります」
「そうじゃない! ルークは――」
「取り乱してもどうにもなりません。今するべきことは裏切り者を引き戻す事ではない」
 とうとう痺れを切らしたガイが、ジェイドの頬に殴りかかった。それを止める事もできずにただ見ていたアニス達は、動揺を隠せないまま佇む。
「……取り乱したのは悪かった。でも殴った事には謝らない」
 切れた唇の血を拭って溜め息をつくジェイドを一瞥して、先にホテルへ戻って行ったガイを追いかける。
 それに気付いて振り返ったガイは、困ったように立ち止まった。
「どうしたんだ?」
「それはこっちのセリフだよ。……どうして、あんなヤツの事心配したりするの? あたしたちにとってはもう敵なんだよ!」
 もしアニスの裏切りが露見したとして、きっと誰も赦してなどくれないだろう。
 それなのに裏切ってもなお、こうして大切にされるルークと、裏切られてもまだルークを大事にするガイ。
 ただ、その理由が知りたかった。
「先に裏切ったのがあいつじゃなかったから、かもな」
「え?」
「ジェイド達にも言ったけどな、あいつが帰って来た時――いや、生まれたとき、俺はいつか『思い出す』だろうと思ってきちんとした教育なんてしてこなかった。でも本当は俺がそうしてきた時間全てがあいつの生きてきた時間だった。だからああなってしまった責任は俺にもあるんだ」
「でも! ガイはルークがレプリカだって知らなかったんでしょ!? だったら」
「仕方ない? それならあいつだってそうだ」
 鋭い声音で言われた言葉にはっとした。
 ガイの言うとおり、ルークは何も知らなかった。自分がレプリカだった事も、何より信頼していた人物に裏切られていた事も。
「信頼してたヴァンに裏切られて、レプリカだって知った後もあいつを置き去りにして外郭大地に戻った俺にも裏切られた」
 そう言い切った声は、悲痛なものへと変わっていた。
 それぞれの罪と罰。赦すべきは、赦されるべきは誰なのか。――それとも最初から赦される事などないのか。罪を重ね続けているアニスには、考える資格も無いのかもしれない。
「だからあいつだけが責められるのはおかしいと俺は思ってる。アニスは、そうは思わないか?」
 頷けば楽になれるだろうか。
 頷いて、ルークだけが悪かったんじゃないと言えば、アニスの時も誰かがそう言ってくれるだろうか。
 だが、頷くことができなかった。思考がぐちゃぐちゃに絡まって、正しい答えなんて解らなくなる。
 そのまま黙っていると、ガイは苦笑して「悪かった」と再び歩き出した。
「わかんないよ……」
 小さな呟きは、降り積もる雪に掻き消されていった。



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07/03/10