第3章 嘘の重さで潰れた真実 6
駆けつけた神殿の前、その向こうとこちらとをまるで隔てるような、おびただしい群光の渦。さっきまでジェイドが感じていたという微弱な譜術の正体は、元は魔物だっただろうこの音素の光にちがいない。その隙間から垣間見えた紅い残像を、痛みに悲鳴を上げる心臓を無視して追いかける。
見極める目を霞ませるほどに乱舞する嘘偽りに隠された、その先の真実を掴むため。
「大佐! ルークってば何企んでるんですかっ!」
「解りません。しかしヴァン謡将の差し金ではない事は確かです」
「ヴァンの企てを阻もうとしている奴が他にいるという事か?」
問いかけるアッシュに束の間言葉を詰まらせながら、ジェイドは口を開く。その一瞬の、逡巡の沈黙から生まれる理由を、そうするべき対象すらもはや見失ってはいても、ガイはまるで祈るような気持ちで聞いていた。
「あるいは彼自身の意思、かもしれません」
静寂が空間を支配する。口を突いて出そうになる否定を込めた難詰を心のままに口走るのを、誰もが躊躇っていた。そんなはずがない、はっきりとそう否定できたら、きっと楽になれるのだ。だけどもう皆気がついてしまった。強がりな迷子の無知である事の白い罪、照れ隠しの裏の不器用すぎるやさしさも。たとえもうそれが喪われてしまったものであっても、そうなった原因は自分たちであったのだと。
「俺は、あいつを信じる」
困惑しているような、あるいは突き刺さるような視線を受けても、気持ちが変わるはずがなかった。ルークの本来の姿を一番に理解しているのは、なぜならガイだったからだ。アッシュの立場をまったく不憫に思わないわけではない。それでもこの身に刻まれた憎悪の印は癒えない。だからこそ、ガイの心に深く根を廻らせた憎しみも怨恨も嫌悪すらも覆して未来を見つめさせた純真が、まだ彼のなかに存在すると信じていたかった。
「お人好しも大概にしとけよ。どうせ裏切られるのがオチだ」
「それでもいいさ。先に裏切ったのは俺のほうだ」
同じ顔、同じ声で忠告する被験者を見据えながら、本人に伝えるのと同じくらい真摯に諭す。他の誰が信じなくたっていい。だけど俺はもういちどあの真っ直ぐな瞳が見たい。全幅の信頼を孕んで差し伸べられる手を掴みたい。
「……勝手にしろ」
仄暗く細長い、冷えた空気が皮膚の下にまで染む道に、蔑むような声は滲んだ。足元でちいさく輝く目的地に、信じたい彼はきっといる。
延々と続くような通路を半ばまで差し掛かった時だった。大気が震えるような感覚を覚え、数瞬遅れてそれが莫大な量の音素の流れだと気がつく。そして直後、下方を一望できる程の光と爆音にちかい振動音が辺りを支配した。
「うそ、まさか……っ」
「あの屑の超振動だ!」
「げげっ! もしかしなくてもあたしたちヤバいんじゃないの!?」
「アクゼリュスだけではなく此処も……!?」
次々と悲鳴が上がるなか、しかし「その心配はないと思います」と言い捨ててパッセージリングを眺めているジェイドに倣って視線を遣れば、リング上空に浮かび上がるのは各セフィロトを示す円を囲んでいる赤い線と図面、それと「警告文、か?」
おそらく古代イスパニア語で書かれているのだろう文章は上から覗けば鏡文字状になっていて、普段なじみのない者が解読するにはあまり易しくない。
「『セフィロトが暴走』……? ――取り敢えず急ぎましょう。こちらに不利な行動をするようならば一刻も早く止めなければ」
一同は焦燥の面持ちで頷いて、無言のまま駆け出す。真実に辿り着くまでの通路は、まるで果てが無いように思えた。
「『ルーク』を殺したのは、お前らなんだよ」
湧水洞で再会したルークの冷たい声は、ガイの脳裏にいつまでもこびりついていた。声だけじゃなく視線も肌も雰囲気すらも、かつて自信と高慢とそして親愛に満ちていたこどもからは、身体の芯を凍らせるものしか感じなかった。温もりを奪ったのは自分。解っているからこそ、向き合うのはとてつもなくおそろしい。それでも此処で逃げたなら、ガイは一生、ルークをうしなうのだ。血塗れの過去に取り憑かれた呪いの日々を打ち砕いて、光をもたらしたかけがえのない存在を。そんなのは耐えられない。それがどんなに傲慢であっても。
「ルーク!」
まるで何かを捧げるようにして両手を掲げている背中に呼びかける。ありったけの悲愴と懐かしさが絡まった呼び声に、しかしながら彼は振り向かなかった。上空を見上げれば、図面にあったはずの赤い線は消え、光の真上には上向きの矢印と、第三セフィロトと第四セフィロトとの間に直線が引かれている。そして先ほどの警告文ではない古代イスパニア語の文章が付け足されていた。
「あんた一体何が目的なの!」
噛み付くアニスの言葉が響きを失った時、両手は下ろされた。遥か昔から輝く幻想的な光に包まれた毅然とした背中に、近づくことすら憚られる。その躊躇いの理由は、明らかな拒絶を恐れているからだ。
「これは驚きましたねぇ。『ツリー上昇。速度三倍。固定』……シュレーの丘のパッセージリングといい、私にはあなたが外郭大地の崩落を止めたがっているように思えますが、ヴァン謡将を裏切ってまでそうするメリットは何ですか」
予想外の話に周りが息を呑んだあと、頑なな背中はゆっくりと振り返った。その瞳に仄暗い闇を湛えて。
「お前らには関係ないだろう」
「そうでもありませんよ。あなたの行動次第でこの世界の存亡が左右されるんですから」
誰も口を挟めなかった。あくまで冷淡さを失わないジェイドの尋問に、怯む様子も不快に感じる様子もなくルークは佇んでいる。それはなんだか本当に、無関心な、ガイたちとルークのあいだの絆や繋がりなんてものがまったく無くなってしまったのを思い知らされるような振る舞いだった。いまさら手を伸ばしても無駄だと言外に言われているような絶望感が足元からガイを侵食していく。
もう、遅いのか。過去というにはまだ早すぎる日々に、あれだけ真っ直ぐに向けられた透明な信頼を、俺は完全に殺してしまったのか。
「あなたはご自分の事について、どれくらいまで調べたんです?」
「『好奇心は猫をも殺す』という言葉を知っているか、バルフォア博士」
「お互い様ですよ。それに『猫に九生あり』とも言いますしね。生憎そう簡単に死ぬほど伊達に歳はとっていませんよ」
「ならばそのうちの『一生』を無駄にする前に、これだけは教えてやろう。俺は復讐のためなら何でも利用する。預言もヴァンも――この世界すらも」
ルークが最後まで言い終わるか否か、「唸れ烈風」すこし高めの声が冷たく響き渡ると同時、「タービュランス!」背後からの乱気流がガイたちを切り刻もうとしたのを寸前で避ける。反転した勢いでそのまま振り返った先にいたのは、六神将のひとり、烈風のシンクだった。
「チッ、掠っただけか」
「どうして此処へ来た」
「言っただろ、ボクは監視役だってさ」
譜術を放ちながらも身軽にルークの隣に降り立ったシンクは、腕組みをして仮面の顔を上げてルークを見る。立ち並ぶふたりのあいだには、何の隔たりも無いように思えた。
「やっぱりヴァンと手を組んでるんじゃねえか、屑がッ!」
「やあ久しぶり、『聖なる焔の灰塵』サン」
痛烈な皮肉を元同僚へ言い放ったシンクは、鼻で嗤って「師匠に捨てられたのがそんなに悔しいかい?」と付け足した。アッシュは憎しみのかぎりを瞳にシンクを睥睨し、次いで視線をルークへ移した。
「良いご身分だな、人の物を奪ってしか生きれねえレプリカ風情が」
その言葉に反応したのは、むしろ当人でなくシンクだった。コーラル城で彼の仮面の下を暴いたガイはその理由に思い当たって、自分が喪ってしまったルークとの繋がりを、シンクがその手にしっかりと携えているのだと気がついた。
「お前たちに何がわかるんだよ!」
「シンク、」
「望まれてもいないのに生まれてきたボクたちの、何がわかるっていうんだよ!」
「シンク!」
呻るように怒鳴り散らすシンクを鋭い声音で嗜めたルークの身体が、不意に傾いた。駆け寄りたい衝動を、シンクの悲痛な言葉に押し留められて立ち止まる。望まれてもいないのに生み出され、殺されることへのあらゆる負の感情がその叫びに渦巻いていたので。
ただ見守ることしかできない彼の身体は反射で床に突き刺した剣がなければ、きっと立つことすらままならないにちがいない。それはちょうど彼が生まれて間もない頃、その剣に代わるものがガイだったように。
「無駄だ、俺たちとあいつらじゃ何もかも違うんだ」
支えるようにして寄り添うシンクに向けて呟かれた、殆ど聞き取れないはずのその声が突き刺さる。決して覆すことの出来ない、存在の根本からの違い。 ――ああ、だけどそんなもの、どうでもいいんだ。俺は、「俺は、お前を信じてる、ルーク」
誰かに信じてもらいたいとねがうなら、まず自分が相手を信じなければならない。そんな基本的なことをまったく忘れて、ここまで来てしまったのだ。ようやく気がついたガイの足は自然と、崩れかかっているルークへ向かう。誰の視線も感情も気にならなかったがおそらく非難が聞こえるのだろうと思った矢先、「私も」揺れながら、それでも芯を持ったティアの声が聞こえた。
「私も信じてる。ルーク、お願い、戻ってきて……お願い」
切実さを以ってガイの背に届く懇願は、その先のルークにも伝わる。それから顔を上げたルークの、刹那の表情をガイは見逃さなかった。頼りない迷子の表情は、初めて出逢ってから暫くのあいだ、何度だって目にしていた表情だ。ガイの識っているルークの姿だ。
迷いなく駆け寄る数瞬前、シンクが詠唱を唱え始めるのも気にかけずに手を伸ばす。掴んでくれ、まるでこいねがうように。
「触らないでッ!」
その手を遮ったのは蒼い猛禽の翼。見切って後方に回転をして見上げた先には、フレスベルグの背に乗ったアリエッタの姿があった。ルークを支えながらシンクがその背に乗ると、一度大きく羽ばたいたフレスベルグはセフィロトの図面あたりまで浮き上がった。
「ラファエルに一度でも触ったら、あなたたち、殺す……です!」
「なんであんたが!」
「……イオン様と……」
アリエッタはそう言いかけた口を噤んで、きっと結んだ。
「ラファエル、もうアリエッタたちの仲間だもん! アニスたちには、渡さない!」
毅然とした表情のままアリエッタが青碧の毛並みを撫でると、いよいよ咆哮を上げて猛禽は天井へと姿を消していく。
「ルーク! ……クソっ」
あともうすこしで届いたはずの右手を、ガイが床に叩きつける音だけが鈍く響いた。
嘘の重さで潰れた真実は、いつになったらこの手に入る?