EXTRA

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  ぼくらがえらびとる曖昧




「一体、何をしてきたんですか?」
 呆れた溜め息を吐いて片眉を吊り上げた男は、ベッドに横たわる青白い顔を一瞥したのち、その抜け殻の体躯を連れて来た碧と桃色の子どもふたりに問いかけた。

 以前ジェイドたちに進入を許した本部の更に地下、上階と造りは変わらないが、左右に三つずつの個室が占領して設けられているそのフロアは、六神将のみが入室・使用を許可されている。また、神託の盾主席総長はその中央を通る廊下の突き当たりに、二部屋分の個室を有す。それらの一室、専門書や資料が詰まった書架や音機関、実験器具などが所狭しと並べられた部屋に荒いノックが響いたのはほんの数十分前。やたらに物は多いが、ひとつの乱れなく整頓してある様は、部屋主の潔癖さを窺わせる。
「はいはい誰ですか」
 実験による音素反応式を紙に書き留めていた手を止め、部屋主であるディストは神経質に人差し指で机を叩き、扉の向こうへ声を飛ばした。
「早く開けなよ変態」
「誰が変態ですか、誰が!」
 金切り声を上げたディストが手元の小型音機関のボタンを押すと、ピッと高い人工音のあとに開錠する音が響く。普段、まったくと言っていいほどに寄りつかない珍客の目的を思うと、見当はつかないがかなりの面倒事だろう。頭が重い。
 その面倒事を先延ばしするように暫く瞑想しているあいだ、入り込んでくる足音が複数あることに気がついて視線を向ける。声からしてシンクがいることは確実だったが、予想外だったのは遠慮がちに足を踏み入れるアリエッタとその兄弟のライガ。そして何より、その上に臥せっている人物の入室だった。
 あまりにも意外な組み合わせにディストが唖然としている隙に、我が物顔のシンクがベッドにレプリカを横たえた。「ちょっと! 勝手に人の物を使わないで下さいよ!」と制止するつもりが、まるで気遣うようなその丁重さにまた面食らって、タイミングを逃してしまった。
「意識戻らないんだけど、どうなってるのさ」
「どうなってるも何も――」
 それはこちらが訊きたい。どうしてこの顔ぶれで、なぜ此処に連れて来たのか。そして「一体、何をしてきたんですか?」
 外傷も疾病の症状も見られない。明らかに貧血か過労による昏倒。しかし劣化しているとはいえ鍛錬を積んだ身体が、容易に崩れるはずがない。――思い当たるひとつの可能性を抜かせば。
 訊ねられたシンクは仮面から唯一覗く口を一瞬だけ閉口させて、「目的は解らない。でも、コイツがただの傀儡じゃないのは確かだね」とだけ答えた。
「やっぱり超振動を使ったんですね」
 そしてそれを知っている上でシンクとアリエッタはヴァンへの反逆を黙認している。確信したところで、ディストはヴァンに密告するどころか興味すらない。どうせ利害の一致のみで手を組んだ相手である。それに手の届く場所に唯一成功した『完全同位体』の完成型が居るのだ。徹底して研究すれば、神託の盾などに属さなくとも自分の研究室でより確実な成果が得られることは火を見るよりも明らかだ。だからこそ、このレプリカには出来るだけ長く存在してもらわなければ。
「あなたたちが何をしようが私には関係がありませんが、超振動は控えさせなさい。研究の準備が整う前に死なれたら堪ったもんじゃありませんからね」
 『死』という単語を口にした瞬間、ふたりの子どもの表情が僅か曇るのを不思議に思う。厭世的なシンクは何に対しても興味が薄く、アリエッタに至っては母親を殺された身だ。そのふたりがここまで懐くというのは、ディストにとって理解しがたい。
「また随分と、懐きましたねぇ」
「ボクは賭けてるんだよ」
 純粋な驚嘆は皮肉として受け取られ、シンクは雰囲気だけで不機嫌を露にして放言した。
「この腐った世界をヴァンが変えるのか、コイツが壊すのか」
「どうにもならないかもしれませんよ」
「それならそれで構わないさ。どうせこの世界は滅びる」
 吐き捨てたシンクをこれ以上追求すれば良くて実験器具、最悪で音機関を破壊されるのは想像に難くない。それはかなりぞっとしないので、仕方なしに切り替えてアリエッタに問う。「母親を殺した男ですよ?」
 アリエッタは一瞬傷ついた表情をして、背丈ほどもあるぬいぐるみを強く抱いて呟くように答えた。
「だけど……ラファエルは、止めたって」
「そんなもの! 殺すのが怖かっただけでしょう」
「フーブラス川でも、たすけてくれた!」
 既に悲鳴にちかい涙声で食い下がるアリエッタは、さながら幼獣が威嚇をしているようである。もうこれは、信用と言っても過言でないくらいに、気を許してしまっているにちがいない。いつも俯いていて頼りないが、自分の懐に入れた存在の為になら危険を冒しても向かっていくのがアリエッタなのだ。
「それにひとりぼっちがさみしいって、アリエッタ知ってるもん!」
 畳み掛けるように吼えられた言葉に口を噤み、ディストは視線だけでベッドの占有者を見遣る。それから詰めていた息を長々吐き出して、「取り敢えず、一応診察しますから出てって下さい、さあさあさあ!」と、明らかな厄介払いをした。
 文句を言い募るガキふたりをようやく扉の外に押し遣った直後に施錠して、それでもなお聞こえる不満げな声に怒鳴り返した。「目が覚めたら呼びますから!」
「――――勝手な事を」
 ふと聞こえたささやかな声は、それでも寝起きにしては随分と明瞭だった。ディストが「あなたたちが何をしようが」の件で覚醒していたのだから当たり前ではある。
「なんですか、あの煩いのを放っておけとでも?」
「……あんたじゃない」
 不愉快そうな低い声に、ああ、と合点がいって、ディストは嵐が去ったあとの静けさを何とはなしに気まずく思った。
 二人きりになるのは二度目だが、空気がざらざらとして居心地が悪くなるような錯覚を覚える。それがどういう心境からくるものなのか、ディストは以前は失敗したが理解を求めないように努めた。
 ただの研究対象に何らかの感情が働くというのは、たとえばモルモットに対して情が湧くなどというようなくだらないものだ。それが同情でも純然たらぬ好奇心でも、――嫉妬であっても殺意であっても。
「いったいどうやって手なずけたんです? やろうとも思いませんが、難しいでしょう、あの二人は」
 先程まで実験過程を書き留めていた紙を丸めて捨てる。幾らなんでも推移を見逃しすぎた実験は、また初めからやり直さなければならない。また口を突いて出そうになった溜め息を呑み込んで、また実験の準備をし直す。「溜め息を吐くと不幸せになる」なんていう迷信を、たとえそうしなくとも不幸に取り憑かれている彼はかたく信じていたので。
「何も。勝手に纏わりついてくるだけだ」
「ほう? それはまた」
 凄い才能ですねえ、という呟きは閉じた口のなかで転がした。せっかく作り直している試薬品を台無しにされる事態は免れたい。
 シンクについては、今は彼自身の理由を鵜呑みすることにするとして、アリエッタが気を許す原因は、熟考すれば何となく探り当てられた。レプリカを追ってここまで来た人語を話せる聖獣の存在が大きな一役を買っているのだろう。
 それにレプリカを造るために数回だけだが面識のあった導師イオンのオリジナルは、時折彼のような表情をする瞬間があった。それはまさしく死期がちかい頃の話で、アリエッタが解任されるほんのすこし前の期間。彼女は感覚が獣にちかい所為か、そういった機微に敏い。だから彼女は、本能的に何らかの危惧を覚っていたのかもしれなかった。
 ――ああ、そういう事ですか。
 『死』という言葉に顔を顰めたのは、たとえ雰囲気だけでも想い人に似通っている彼が死ぬことを(事実、もう死んでしまっているが)、無意識に恐れているのだ。
 それについて胸は痛まないが、大切な人を喪う恐怖と絶望はディストも識っている。その人をきっと同じように特別視していただろう幼馴染がどう思ったかは知らないが、その喪失を埋める為にディストは今を生きている。
 それにしたって彼女の最後のセリフは、拙い。彼が途中から意識が戻っていることを確信していたディストが、慌てて追い出してしまったくらいには。彼女にしたらまったくの悪意もない本心からの言葉でも、同情的な皮肉にしか彼は受け取らないだろう。だからこその「勝手な事を」、だ。
「ヴァンへの意趣返しか何かですか」
 幼いふたりを手懐けたのが故意ではないと識った以上、この場合は超振動を使った作業についてである。それを正確に理解したのであろう彼は書架から本を選びながら、さあな、とだけ答えた。詮索を制すものでも真意を隠すようなものでもなく、本当に解らないとでもいうような声音に、ディストは作業をしていた手を止めて思わず顔ごと振り返った。
「俺の意思は無い。コイツの意思でも」
 そう言って軽く胸を叩いた彼の裡にはいつからか、それまで存在すら疑わしかったとんでもないものが棲み憑いている。
「――二重スパイ、って事ですか?」
「こっちから願い下げだ」
 鼻で嗤って切り捨てるのを聞くと、その線はないらしい。それならばただ混乱を招きたいだけなのかと問えば、それも違うという。そうなると、それはおそろしく意外な答えに辿り着く事になる理由だ。しかも本人の思惑などまるで関係なしに。
 まったく予期していなかった事態に困惑しながら、押し殺そうとしていたはずの感情が好奇心で疼くのに舌打ちをした。
「まあとにかく、超振動を使うのはやめなさい。もうだいぶ調べがついてるんでしょう」
 答えを返さない彼の手元にある研究資料を一瞥して、また作業をする自分の手元に戻す。詮索も干渉もするつもりはないが、研究の為だ。言い聞かせる。
「これ借りていくぞ」
「だから勝手に……ああもういいですよ、どうぞ持っていってください!」
 こうして結局妥協を繰り返してしまうのは、もしかすればシンクやアリエッタに毒されたか、あるいは彼がやっている自身も意図の解らない作業と同じ理屈かもしれないと思い至って、慌ててディストはかぶりを振った。だからその考えを曖昧なままにして、再び作業に没頭し始める。その曖昧が六神将各々の心に根づき始めているのを、互いはおろか、自身すら気づいていない。誰ひとり。
 扉が閉じる直前、待ち構えていたのだろうシンクとアリエッタの声が、薄ら寒い部屋に滑り込んだ。防音してあるのでこちらの会話が聞こえた心配はない。
 彼の持っていった資料は、かつての幼馴染が最後にまとめた論文だった。止めなかったのは、ただの気まぐれだと、ディストは誰にするでもなく言い聞かせた。
08/07/27